こうした物議を一蹴するのが、ジャーナリストの大谷昭宏氏だ。
「先日、名古屋市で開かれていた『絵本はだしのゲン原画とマンガ展』に行ってきました。それまで来場者が1日十数人だったのが、騒動後は100人を超えたそうです。まさにケガの功名と言えます」
騒動を受けて大谷氏は、松江市教委が、「旧日本軍の暴力的場面が、子供の発達上、悪影響を及ぼす」と見解を示した後半部分の8~10巻を読み返したという。
「ハッキリ言って、何が問題なのか、というのが率直な私の感想です。確かに、悲惨な場面、暴力的な場面、凌辱的な場面といった残酷な個所はあります。しかし、残酷でない戦争、残酷でない原爆なんてあるでしょうか? 安易に物事を伏せ、表層的なキレイな面だけで、いったいどうやって、戦争や原爆の悲惨さ、むごたらしさを子供たちに語り伝えられるのでしょうか? どうやって子供たちは平和の尊さを学ぶことができるのでしょうか?」
今回、松江市教委は、この点については無言を貫いている。そして、大谷氏はこう主張する。
「歴史とは、キレイな面だけではありません。おろかな面、醜い面、目を背けたくなる面も必ずあります。さまざまなものを体験しつつ、模索し続けてきたのが人類の歴史です。未来を担う子供たちに対しキレイな面だけを見せ、暗部に蓋をしてしまったら何が過ちだったのかを考える機会を奪ってしまうことになる。負の部分を知り、それが反面教師になるからこそ、美しいもの、キレイなもの、大切なものを観る目が養われ、よりよい世の中を作るキッカケになるのです」
「はだしのゲン」が連載を開始したのは「少年ジャンプ」だった。ジャンプ創刊直後から編集部に在籍した角南攻氏が連載当時を述懐する。
「ジャンプでは、初代・長野規編集長の方針で、少年たちに平和・反戦の意味を伝えるために終戦記念日など年に1度は特集を組んでいた。その流れで中沢先生も漫画を持ち込まれたのだと思います。衝撃的な原爆投下直後のシーンは小学生からは怪奇漫画のように受け止められていたと思いますが、こういう漫画は絶対やるべきだというファンレターは親や大学生からでした。連載中はダントツの人気にはなりませんでしたが、打ち切りにしようという話は一切出なかったですよ」
ジャンプ伝統とも言うべき「友情・努力・勝利」をテーマとしたエンターテインメントとは別に、下山事件、三鷹事件など権力側の陰謀もささやかれる事件について、小学4~5年生の子供でも考えられるようにするのも漫画の役目だという編集部の骨太の方針に「はだしのゲン」が当てはまったという。
「1年半ほどで連載が終了したのは確か石油ショックで紙代が高騰し、100ページも削減した影響があったように記憶しています。中沢さんとは5、6年前に会って話をしましたが、アメリカやヨーロッパで『はだしのゲン』が重版になっていると喜んでいました。この漫画で世界に原爆とはどういうことだったのかが伝わったことは事実でしょう。広島、長崎の体験をしっかり語り継げる世代は今の80歳近い世代。つまり年々語られることが危うくなっているわけです。誰かが言い続けなければ伝わらない、そういう意味で言えば中沢さんが描いたこの作品は世界中を駆け巡り、その責務を十分に果たしたのではないでしょうか」
原爆投下直後を描いた強烈な筆致が多くの日本人の脳裏に焼き付けられたことだけは間違いないが‥‥。