「また増えちまったな。これじゃしばらくライブはダメだな」
5年程前から、年2回程度のペースでコンスタントに開催してきた「ビートたけし“ほぼ”単独ライブ」。しかし、いまだ収束する気配のない新型コロナウイルスの影響により、今年は開催のメドがまったく立たない状況を嘆いて、殿はこんな言葉を漏らしたのです。
殿の中で“客前に立ちしゃべる舞台”は、“どの仕事よりもやりがいと意欲を感じる場”であるようで、コロナ禍前は、「北郷、次のライブはいつだ?」「あれだな。今年は年4回やってもいいな!」等々、とにかく“オイラに早くライブをやらせてくれよ”モードで、ライブの企画と構成を担当しているわたくしをせかすのでした。
そんな殿を見ていると、〈浅草の舞台から出て来た芸人は、ちゃんと舞台に戻るようにできているんだな〉と、やたら腑に落ちます。ちなみに、長く殿のしゃべりのパートナーを務めていた高田文夫先生は「たけちゃんはいつ会っても、板(舞台)の臭いがする」と、評していました。そんな、“舞台至上主義”の殿が本番前、やたらイライラしたライブがありました。
それは殿の単独ライブではなく、去年の秋、台東区が主催した「ビートたけし~浅草を語る~」といったトークライブです。
このイベント、殿の出番前に漫才師の流れ星、ピン芸人のヒロシ、浪曲師の玉川太福、そして落語家の古今亭菊輔がそれぞれネタを披露したあと、最後に殿が登場して、浅草についてしゃべるといった流れだったのですが、殿は予定より1時間も前に会場である浅草公会堂に入ると、楽屋で待機することなく、舞台の袖に立って、それぞれの芸人のネタを全て見届けたのです。が、舞台に出ている芸人がドッとウケるたびに、
「なんだよ。ちょっとしゃべるつもりで引き受けたのに、これじゃ俺もネタやんなきゃしょうがねーじゃねーか! 聞いてねーぞ」
と“思ってたイベントと違うぞ”といった感じで、誰が見ても不機嫌な雰囲気を漂わせ、かなりイライラした様子で、何度も舞台に出ていくことを嘆いていました。で、いよいよ出番となり、司会を務めていたわたくしを聞き役に従えて舞台に登場した殿は“生たけしを見て興奮した”1000人程の観客の拍手と歓声をひととおり浴びたあと、
「どうも、たけしです。浅草は昔から変な人がたくさんいますが‥‥」
と余計な話を一切せず、いきなり“オイラが修業時代に見た浅草奇人伝漫談”を全力でガッツリ20分程披露し、終始ドッとウケて、舞台を降りたのです。しつこいようですが、この日の殿のウケ方は、それはそれはすごいものでした。
で、殿と打ち上げへと繰り出したのですが、そこで、
「いや~舞台はウケたし、酒はうめーし、今日は言うことねーな!」
と、本番前の嘆きなどどこ吹く風で、その日1日を、大変満足な顔つきで締めくくったのです。
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◆プロフィール アル北郷(ある・きたごう) 95年、ビートたけしに弟子入り。08年、「アキレスと亀」にて「東スポ映画大賞新人賞」受賞。現在、TBS系「新・情報7daysニュースキャスター」ブレーンなど多方面で活躍中。本連載の単行本「たけし金言集~あるいは資料として現代北野武秘語録」も絶賛発売中!