「石原軍団」の名で知られる石原プロモーションが、来年1月16日をもってその名に幕を閉じる。
石原プロは1963年、当時日活に所属していた石原裕次郎が個人事務所として設立した。そこへ裕次郎を敬愛する渡哲也や、その渡を兄のように慕う舘ひろしが加入して、いわゆる「石原軍団」が形作られたのだ。それだけに「ボス」である裕次郎が病に倒れ、そしてこの世を去ったことは大きな衝撃となった。
軍団の存続を左右したボスの死は芸能界のみならず、日本全国に衝撃を与え、様々な物語を残した。芸能レポーターの石川敏男氏が言う。
「解離性大動脈瘤、肝臓ガンと危機が続いたあと、小康状態を保ってハワイで静養していた86年のことです。静養先に勝新太郎さんが見舞いに訪れた。その時、裕次郎さんが静養するコテージの垣根にタバコを忍ばせたというんです。タバコを持っていくと、まき子夫人に怒られるので、その直前にね。それでしばし見舞ったあと、裕次郎さんを散歩と称して室外に連れ出し、タバコを吸わせてあげたとか。勝さんは『(裕次郎に)タバコを吸わせてやったよ』とうれしそうに話していました」
結局、裕次郎はハワイ静養からおよそ1年後の7月17日、入院先の慶応義塾大学病院にてその命に幕を降ろす。ボスが倒れるという一大事、そして勝新との常識外のエピソードはその大転換期に起きた事件であった。
58年の歴史を誇る石原プロでは、この他にも「男たちのドラマ」が満載。その全容を7月28日発売のアサヒ芸能8月6日号で詳報している。