石原プロは設立当初、裕次郎の意向もあって映画製作をメインとして活動していた。その中で「黒部の太陽」(三船プロとの共同製作)、「太平洋ひとりぼっち」などの話題作を放ったが、一方で映画産業の斜陽化もあって、一説には8億円とも言われる借金を背負ったという。そんな石原プロの起死回生ともなったのが、のちに数々の伝説を残したテレビ界への進出であった。特に「太陽にほえろ!」(日本テレビ系)、さらには大がかりな爆発や銃撃戦、カーアクションがふんだんに盛り込まれた「西部警察」(テレビ朝日系)は、絶大な人気を誇り、今現在も根強いファンがいる。だが、その西部警察で大事件が起きた。裕次郎没後の03年8月12日、カースタントの撮影中に、見物していたファン5人に重軽傷者を出す事故を起こしてしまったのだ。芸能評論家の城下尊之氏が明かす。
「その時、社長である渡哲也さんが被害者の入院する病室を訪れ、土下座して謝罪をしたんです。事故後、被害者の方には石原プロの社員がお世話係として付き添っていたのですが、そこに渡さんが現れた。言ってみれば、あの『大門』が目の前で土下座するわけですから、被害者の感情に何らかの心変わりがあってもおかしくない」
のちに補償問題などを経て、この事故は解決へと向かうが、渡の誠意ある土下座が事態を好転させた一因となったことは十分想像できる。
このように徹頭徹尾、石原プロのために誠意を貫いてきた渡であるが、実は一度、自身の立ち位置に疑問を感じたことがあったというのだ。芸能文化評論家・肥留間正明氏によれば、
「裕次郎さんが病に倒れる前のことです。渡さんは、役者として石原プロという大船に甘えていないか、みずからが一度外に出て見つめ直したほうがいいのではないかと考えたそうです。そして、さる老舗芸能プロダクションの会長に相談した。会長の答えは『渡さんがその気なら、いつでもうちにどうぞ』でした」
そのままいけば芸能界を揺るがす移籍劇に発展したかもしれないのだが‥‥。
「そうこう思い悩んでいる時に、裕次郎さんが病に倒れた。裕次郎さんに心酔してきた渡さんとしては、そんな時に石原プロから出るわけにはいかないし、裕次郎さんを支えていきたい。それで、くだんの会長に『今回はこういうわけで申し訳ない』と頭を下げたんです。会長もそれはしかたないと納得した」(肥留間氏)
移籍先候補だった老舗プロダクションは女性タレントの育成で定評があるところだった。それだけに、もし裕次郎が健在で渡の移籍が現実となっていたら、また違った渡哲也が見られたかもしれない。
しかし、なんといってもすごいのは、渡をそこまで心酔させる裕次郎の魅力だ。肥留間氏が続ける。
「かつて『太陽にほえろ!』のロケ中、裕次郎さんに6時間ほど密着してインタビューをさせてもらいました。その時の印象は、まさに映画そのままにスケールの大きい人。最初に挨拶に行った時も、まだ若かった私に『おお、今日はオマエか! よろしくな!』とフランクに話し、そのあとも撮影の合間に誠実にインタビューに答えてくれました」
石川氏も、
「裕次郎さんに会った『男』はみんな裕次郎さんを好きになってしまう」
いわゆる男の中の男、それが石原裕次郎なのだろう。