さまざまな形で鮮烈な印象を残した「ろくブル」連載時に「一方的にライバル意識があった」というのが、大ヒットバスケットボール漫画「スラムダンク」で知られる井上雄彦だった。
「同い年で、デビューも近い。しかも、井上さんは手塚賞入選なんです。僕は手塚賞佳作なのに(笑)。で、絵もうまいし、おもしろいし‥‥。こっちはもう井上さんのデビュー当時からバリバリ意識してた」
最近は「すぐに影響を受けるから」という理由で、あまり他人が描いた漫画を読まない森田だが、現在も井上の作品だけは買っているという。今も当時も交流はほとんどないというが、一度だけ集英社のエレベーターで一緒になったことがあった。
「井上さんがデビューしたばかりで、僕は『ろくブル』の連載をしてた頃。僕は気づいたんだけど、ライバル意識があったから『絶対に挨拶してやるか!』って思ってて。そしたら、井上さんが挨拶といっていいのかわからない、微妙な感じのお辞儀をしてきてね。だから、こっちもアイマイなお辞儀を返したな(笑)」
井上が当時、どれくらい森田を意識していたかはわからない。森田自身が語るように、一方的なライバル意識だった可能性も高いだろう。だが、実は井上も、今買っている漫画は森田の「べしゃり暮らし」だけだと話したことがあるという。向こうも森田を意識していたのである。
しかし、ろくブルに関しては、森田本人は「失敗作」と話す。というのも、興奮でロレツが回らなくなったり、バカで単純だったりするのが魅力の主人公・前田太尊を描くのが、ある時期から急に難しくなったというのだ。
「(太尊を慕う後輩の)ヒロトが出てきたあたりから、うまく太尊の内面が描けなくなった。ヒロトがミニ太尊になっちゃって、本来の太尊の役割をヒロトが奪っちゃったんだ。読む人によっては『太尊が大人になった』って言ってくれるけど、実際は何を考えてるかわからなくなっちゃって。だから、失敗作なんです」
最終話では、映画のエンドロールのような演出を盛り込んだり、漫画以外の趣味の影響を強く感じる「ろくブル」だが、森田はこれもコンプレックスの裏返しと語る。
「漫画以外何も経験してこなかったっていうコンプレックスがあって。趣味もなかったですし。だから漫画で趣味みたいなものを語りたかったんじゃないかな。薄く広い知識なんだけど、一生懸命知識があるフリをして描いてた感じですよ」
さらに、
「主人公の名前がそのままタイトルになっていても違和感がないくらい、強烈にキャラが立っているのがいい少年漫画だと思う」
とも言い、この点でも、群像劇という側面が強い「ろくブル」は失敗作だと言うのだ。
だが、そういう作者の葛藤がさまざまに表出してきた作品だったからこそ、今なお多くのファンの心に残っているのも事実だろう。作中にも登場した芸人・千原ジュニアは、「何も経験してこなかったコンプレックス」を森田が語ったことに対し、「でも、それって『作家やな』と思います」と言ったという。
魅力的な漫画に必要なものはたくさんある。「ろくブル」も作者としては反省点も見えるだろう。しかし、多くの読者や同業者が今なおその魅力を語るのは、紛れもない傑作の証しだろう。