桧山も、星野監督時代に獲得した鉄人・金本が岡田彰布政権で不動の4番となったことや膝痛などの影響もあり、06年からは代打としての出場が多くなるが、07年に「事件」が起こる。
この年、桧山は8月21日のヤクルト戦で代打満塁本塁打を放つなどの活躍を見せたものの、前半の不振がたたり、打率はわずか1割9分1厘に終わる。オフには一部スポーツ紙で「来季戦力外」「引退」と報道されたのだった。
「結局、この時は阪神ファンからの反響がものすごくてね、球団が驚いたわけです。球団には『辞めさせるな!』という猛抗議が殺到し、たった1日で覆りました」(前出・球団関係者)
進退を賭けて臨んだ08年は代打で安打を量産し、打率3割を達成する。04年に引退した先代“代打の神様”八木裕(現・阪神二軍打撃コーチ)に代わる切り札として「神様、仏様、桧山様」とあがめられる存在となった。その後の「神」としての活躍と勝負強さは、代打安打156、代打本塁打14、代打打点109の球団記録(9月11日現在)を打ち立てたことでわかるだろう。
「晩年の金本は代打も多かったが、『ヒー(桧山)の準備のしかたを参考にしていた』と、最も盛り上がった重要場面で打席に立つまでの過程を桧山から学んでいました」(前出・関西マスコミ関係者)
引退後の桧山について、前出・デスクは言う。
「いったん評論家になり、数年後には打撃コーチなどで指導者として戻ることになるでしょう。チームの低迷期も優勝も知り、控え選手、4番、代打と全てをひととおり経験しているので、いろんなタイプの打者にアドバイスできる」
ただ、外野手特有の「細かい野球観」に欠ける面が吉と出るか凶と出るか‥‥とデスクは続けるのだ。
「どこそこの場面で打ったとか振り返っても、よう間違うてたりしますから。引退会見で、義理の父親が亡くなった日に本塁打を打ったと言うてましたけど、これ、実は打ってないですからね。打ったのはそのあとの試合ですよ。引退会見で思い出のシーンの説明を間違う人なんて珍しいでしょ(笑)。配球の話をしても、一事が万事そんな感じ。そのアバウトさ、おおらかさが桧山のよさでもあるんですけど。だからこそ、あんなプレッシャーがかかる代打を何年もやってこられたんだと思いますよ」
第73代4番として301試合に先発し、代打の神となってバットを置く。10月の引退試合では阪神ファンの惜別の声援も、代打成績のごとく球団記録を更新することだろう。