タテジマ一筋22年の実働は歴代最長。その引退会見に涙はなく、「自分にとってはすごい道のりやった」と語った。暗黒時代、優勝、控え選手、4番、選手会長、代打‥‥野球選手としてのほぼ全てを経験した球団NO1人気男が「代打の神」として君臨するまでのドラマを惜別公開する。
昨年の金本知憲氏(45)に続いてまた1人、金本氏とは同期の虎のスターが去ることになった。9月7日の引退会見時点で1261安打、159本塁打、打率2割6分、703打点。数字だけを見ると決して突出しているわけではないのだが、桧山進次郎(44)の人気はなぜか群を抜いている。
「金本よりも声援が桁違いに大きかった。今も甲子園でいちばん拍手が起こる選手ですよ。阪神ファンがいちばん喜ぶ、生え抜きで4番になったわけですから」
在阪スポーツ紙デスクがこう話すように、「代打・桧山」のアナウンスの瞬間は、甲子園が最も盛り上がるシーン。その桧山は引退決意の理由について、夏には強かったのに今年初めて夏バテを経験したことを引き合いに出した。
91年、ドラフト4位で阪神に入団。会見では「巨人がオロナミンCなら、阪神はリポビタンDのようにファイト一発で」とコメントし、笑いを取った。関西のテレビ局スタッフが話す。
「京都・平安高校時代は遊撃手で、東洋大学では三塁手。でもプロ入りの時点で、打撃センスはいいけど内野手は無理だと判断され、キャンプ初日から外野でノックを受けています。コンバートに向けて二人三脚で桧山を鍛えたのは、島野育夫外野守備走塁コーチ(当時)。徹底的にシゴかれ、よう鉄拳も食らってましたわ」
折しも阪神は中村勝広監督の下、暗黒時代の真っただ中。92年5月30日の巨人戦、「6番・右翼」で初スタメン初出場を果たす。
そして95年、前半戦終了とともに中村監督が休養、引き継いだ藤田平監督代行は桧山を4番に抜擢した。前出・デスクが明かす。
「外国人(グレン、クールボー)がダメで、4番の適任者がいなかった。藤田代行は自分の色を出したいこともあり、桧山を据えてみた。この大抜擢にはマスコミ、球団内、ファンからも驚きの声が上がりました」
だが、本来は中距離打者の桧山が4番になったことで、その責任感から本塁打を狙おうとして大振りが目立つようになる。球団関係者が言う。
「アッパースイングになり、三振が激増しました。97年、吉田義男監督の下では23本塁打したものの、3番・新庄、4番・桧山のクリーンアップでものすごい三振の山を築きましたね。シーズン終盤は巨人・清原和博、新庄、桧山による壮絶な三振王争いが繰り広げられたほどですよ。新庄は三振のことを記事にされるのを嫌がって、しまいにはセーフティバントをしたりしてましたな。最終的にはデッドヒートを制して、清原が三振王のタイトルを獲得しました」
三振数は清原152、桧山150、新庄が120だった。
◆アサヒ芸能9/17発売(9/26号)より