男と女の情念を色濃く描いてきた一時期の“ロマン”路線の日活映画の世界に、女性を性の対象とする女性を意味する「百合族」という概念を持ち込み、予想以上の大ヒットに。山本奈津子と名コンビだったのが小田かおるだ。
当時のポスターは、セーラー服で向かい合ったまま熱いキスを交わす2人の女子高生が目を引いた。83年に公開された「セーラー服 百合族」のヒットで、小田と山本は「百合族コンビ」として売り出された。小田が当時を回想する。
「気持ちとしては『撮影に遊びに行く』くらいの感じでしたが、出演が決まって断れず、記念に1本くらいならいいかと。もちろん映画は、私たちというよりも『設定ありき』でしたけど、あれほどのヒット作になるとは思いませんでした」
ヒットした要因には、シリーズ3作でコンビを組んだ山本との相性がある。小田によれば、山本とは「構えず自然に」“百合”演技ができたといい、その結果、「シリーズ化になって、むしろ楽しい撮影の思い出ばかりです。演技することが初めてでしたので、監督の指示のもとで深く考えずやっていたように思います」という。
小田と山本は第1作の撮影で、前張りを貼る練習をしながら「これ1本で辞めようね」と慰め合っていたという。そんな初々しいコンビだが、日本で初めて本格的な「性的対象が女性の女性」を演じることへの抵抗はなかったのか。小田によれば、あくまで演技上のことだとして、「奈津子さんとはいい友人関係が築けていたので、撮影はやりやすかったですよ」という。脱ぐことに関しては、「その間に写真集も多かったから、すっかり慣れてしまいました」と言って笑った。
ちなみに、ショートカットの小田が「タチ(男役)」を思わせるポジションだったが、映画の影響で女性に言い寄られることはなかったのか。
「そんなことは全然ありません(笑)。それよりも撮影はとにかくハードスケジュールでしたので、時間があれば眠っていた記憶です」
そんな小田は“ロマン女優”でありながら、85年には「ミス日本」に選ばれるという快挙を果たした。その時の心境はというと、
「事務所の社長の推薦で予選に出たんです。ミス日本といえば山本富士子さんなど、すばらしい女優さんばかり。その一員に選ばれたことはとても感激でした」
やがて小田は32歳の時に5つ上の舞台俳優と結婚し、女児を出産。夫は運送会社を立ち上げ、これが大成功して「ベンツなど高級車を3台所有」するほどの暮らしぶりとなる。ところが業績が悪化し、家には借金取りが押し寄せ、ついには夫が03年に蒸発。小田のもとには、幼い娘を抱えて「借金6000万円」が残った。豪邸を売却し、実家の父親の退職金まで返済のために用立てる。06年には本誌で、山本奈津子との脱ぎ姿の写真を撮ったが、それも返済の一環であった。
さらに小田は14年に脳梗塞を発症し、娘だけが頼りという生活になる。
「借金は両親の分を含めて完済しました。今は毎朝、目が覚めて『生きている』ということに感謝しかありません。毎日が自分との闘いですが、介護してくれる娘のおかげですね」
1日も早い回復を祈るばかりである。