どんな窮地に立たされても、ただじゃ転ばない。小林旭の代名詞である「マイトガイ」という呼称どおりの豪胆さは、デビュー当時から備わっていたものだ。
「石原裕次郎(享年52)らとともに日活アクション映画の黄金期を作り上げました。でも、旭と裕次郎には決定的な違いがあります。裕次郎は大学在学中に東宝のオーディションを受けて不合格になっています。ですが、兄の石原慎太郎の威光で、56年に慎太郎原作の芥川賞受賞で騒がれた『太陽の季節』でデビュー。下積み知らずの特別待遇だった」
プロデューサー水の江瀧子が目をかけ、自宅に居候させもした石原の日本人離れしたプロポーションとナチュラルなオーラは、それまでの俳優と一線を画し、たちまちスターダムに押し上げられた。
「一方の旭は、エキストラ経験もある底辺から這い上がってきた叩き上げ。日活入社から3年間の大部屋時代には、先輩俳優や若手スタッフから、すさまじい嫌がらせを受けていた。そんなイジメにも耐え抜いて頭角を現した本物の映画スターです。それに裕次郎のように軍団を作らない一匹狼タイプで、本人も『いつもロンリーだった』と語っていました」
さらに、裕次郎がふくよかな体つきになり、アクションから遠ざかり始めるとその差が歴然としてくる。
「(宍戸)錠も『芝居も動きも並外れてこなすのは旭しかいない』と話していましたし、ジャッキー・チェンやジョン・ウー監督も旭の熱狂的なファンでした」
そんな小林は65年、芸能史に残る「九死に一生」を体験し、日本中を驚愕させたこともある。
「父の監督作品『黒い賭博師』の撮影中、高所からトランポリンに飛び降りて跳躍するという演出で、旭はスタントマンを使わずに撮影に臨みました」
小林が1人で行ったリハーサルでは問題なし。だが本番で、冨士眞奈美に模した約30キロの人形を抱えて飛び降りると、予想外のリバウンドで空中に放り出されてしまったのだ。
「本来の着地地点をはるかに超えた場所に、真っ逆さまに墜落。旭のもとに顔面蒼白のスタッフが駆けつけると『大丈夫だ』と言って起き上がり、病院へ行かずに帰宅したんです」
異変は自宅での夕食時に起きた。突然、いびきをかいて昏睡状態になり、緊急搬送される。そして35日間眠り続けて目を覚ましたが、まさに「生還した」のである。
「錠いわく『裕次郎でさえ俺にグチを言っていたが、旭は一度も言ったことがない。そういう男らしい男なんだ』と。体を張って徹底的にやり抜く。もうこんな本物の映画スターは現れないでしょうね」
強靱なる女優魂を持つ浅丘と、底辺から這い上がった小林たちが築き上げた日活映画。それは現在の日本映画では感じることのできない、生命力みなぎるエネルギッシュな、まさに黄金の時代だったのだ。