マーブルマーブルマーブルマーブルマーブルチョコレート♪ 耳に残るフレーズとともに天才子役と呼ばれた上原ゆかり(64)が今、長い沈黙を破った。
──こうしてメディアに登場されるのは、なんと33年ぶりとのことで。
上原 そうですね、芸能界を引退してから一切、表舞台には出ていなかったので。
──その事情はのちほどお聞きしますが、まず芸能界に入られた当時のことを。
上原 デビューしたのは3歳でした。兄が児童劇団に入っていて、その現場に母親に連れられて行ったら、テレビ局の人にスカウトされたんです。
──初めての仕事は覚えていらっしゃいますか。
上原 59年のフジテレビ開局記念番組だったんです。俳優の滝田裕介さんと冨士眞奈美さんに手をつながれ、マスコット的に歩いたのを思い出します。
──その後も少女雑誌の表紙モデルや、数々の映画・ドラマで売れっ子になっていきますね。
上原 今も続いているアニメよりも先に、実写版の「サザエさん」(65年、TBS系)ではワカメちゃんの役もやりました。
──ただ、決定的に一世を風靡したのは「明治マーブルチョコレート」のCMですね。61年の発売直後から、イメージキャラの「マーブルちゃん」として日本中に愛されることに。
上原 小学校に上がる前から5年生くらいまで続けていましたね。そのくらい、商品が爆発的に売れていたんだと思います。
──日本初の粒状のチョコであり、カラフルな色合いでオマケに「鉄腕アトム」のシールがつくなど、画期的な商品でした。
上原 それでも、おとなしい母がマネージャーだったので、教育面も考えて、お金が入ってもぜいたくをさせてもらったという記憶はないのです。
──テレビ黎明期だけに、人気子役が次々と誕生した時代でもありましたが。
上原 「チャコちゃんシリーズ」(TBS系)の四方晴美さん、「コルゲンコーワ」CMの保積ペペさん、ドラマ「アッちゃん」(日本テレビ系)の蔵忠芳さんとか。現場で会うくらいでしたけど、皆さん、性格がいい子ばかりでした。
──芸能活動は87年まで続きましたが、ご結婚は78年だったんですね。お相手は写真集などで活躍された写真家の奥舜氏。
上原 夫の親友からあとで聞いたら、会ったこともない私がテレビに出ているのを見て「オレ、この子と結婚するよ」と言ったそうです。不思議な力を感じましたが、私の知り合いの女優さんに紹介されて、そこからおつきあいが始まりました。私の最初で最後の水着グラビアも主人が撮ったものです。
──残念ながら、ご主人は06年に若くしてお亡くなりになりました。
上原 はい‥‥幸い、2人の娘も今は独立して初孫も生まれ、おばあちゃんになりました。夫の死後、専業主婦から40代でOLデビューを。2人の娘のシングルマザーと母の介護をしながら、宅建士の資格を取りました。
──今はどんな暮らしですか。
上原 実は5年前に「アイ・ハウジング」という不動産会社を起業したんです。そこで主に賃貸管理を担当しています。どんな方にも「家」を通して幸せになっていただきたいと。昔と違って地味な縁の下の仕事ですが、お客様に「ありがとう」と言っていただけることがうれしい日々です。
──みごとに、経営者の顔になっています。