27年という現役生活を終えたのは、中日の山崎武司(44)。野村克也、星野仙一といった名将の下でプレーし、卓越した野球理論を身につけた。さらに人望の厚さが球団から高く評価されており、早くも中日の将来的な監督候補としてあがっている。
そんな山崎も、かつては監督とたびたび衝突した。中日では山田久志監督時代、出場機会の少なさに不満を募らせ、険悪な関係に。ついにはトレードを志願した。
「オリックス時代は、伊原春樹監督から二軍落ちを言い渡されて、監督室にどなり込んだこともありました。結果、監督室にバットを放り投げただけでなく、その日の試合までボイコット。この頃の山崎は、人間的に未熟でした」(スポーツライター)
後年、山崎は雑誌のインタビューで、この2人を「相性が最悪の監督だった」と回想している。
そんな山崎が変わったのは、オリックスを戦力外となり、楽天に拾われてから。田尾安志監督から打撃理論を吸収し、野村監督からは配球の読み方、狙い球のしぼり方や野球哲学を学んだ。とりわけ野村氏の影響は大きく、07年に43本を放って2度目の本塁打王に輝くと、09年には40歳にして39本塁打を記録し、完全に開花した。そんな山崎の野球人生を暗転させたのが、楽天・星野監督誕生だった。楽天担当記者が明かす。
「星野監督は、自分の後任として山崎が最有力になっていることを知っていた。みずからが退いたあとも影響力を残したかったんでしょう。球団にたびたび『山崎はもうダメだ』などと報告し、退団の方向へ舵を切らせたのです」
当時、星野監督は「山崎を頼りにしている」とコメントしていたが、裏ではこんな根回しをしていたのだ。
楽天担当記者が続ける。
「星野監督はさらに『武司、ちょっと休め』と言いながら、裏では『もうアイツは使えない』と、スタメンでの起用を避けてきた。山崎はコーチを介してその事実を知ることもあり、『あのウソつき野郎!』と激怒したそうです。球団は幹部候補生としてチームに残ってほしかったのですが、星野監督は球団に『頼むから(山崎を)切ってくれ』とまで言って、受け入れなかった。それが山崎の耳に入り、またもや『ふざけるな!』と憤慨したそうです」
引退を拒否した山崎は、古巣・中日へと出戻った。そこで有力な監督候補となっているのだから、何とも皮肉な話である。
星野監督は山崎が移籍する際に中日幹部に電話し、「あんなとんでもないヤツを獲ると大変なことになるぞ」と「妨害工作」まで行ったとされる。
楽天の優勝で、星野監督の時代はまだ続きそうな気配。山崎が中日監督となって「遺恨対決」が実現すれば、見ものだろう。