●ゲスト:山崎武司(やまさき・たけし) 1968年生まれ。愛知県出身。元・プロ野球選手。87年中日に入団、03年にオリックスへ移籍後、05年より東北楽天の創設メンバーとして活躍。12年、再度中日へ復帰し、13年10月に現役を引退。07年に39歳で43本塁打(本塁打・打点の二冠)、09年の41歳で39本塁打を記録。35歳以降に生涯通算本塁打403本の約半分を放ち、名をはせた。現在は野球評論家として活躍している。
昨年10月に引退し、現在、野球評論家として活躍中の山崎武司。長期にわたるプロ野球生活の中で、時には監督とぶつかり、部屋のドアにバットを投げつけたこともあったという。野球一筋27年のベテラン打者が、引退した今だからこそ話せる名監督たちの“裏素顔”を、天才テリーにブチまけた!
テリー 27年間お疲れ様でした。
山崎 ありがとうございます。
テリー 中日、オリックス、楽天、そしてまた中日に戻るという野球人生だったわけですけど、どこが一番の転機でしたか。
山崎 「(自分が)終わったな」と思ったのは、02年に中日からオリックスに行った時ですね。
テリー その時の中日の監督は、星野(仙一)さん?
山崎 いや、山田(久志)さんに代わった時で、僕はFA資格を取って、ベイスターズから誘いをもらって、その気になっていました。でも、山田新監督から一緒に戦ってほしいと説得されて残留したんです。
テリー 望まれたなら、うれしいじゃないですか。
山崎 でも、僕は春先ちょっとモタモタするタイプだったので、二軍に落とされたんです。それは自分の実力なんでしかたがないんですが、一軍に上がって、チャンスで代打に出されて、打てなかった。その時「このチームを奈落の底に落とす選手がいる」という監督の言葉が新聞に出たんです。それでブチッと頭にきて。
テリー なるほど。
山崎 「はっきり物を言え、こらタコ!」という気持ちになって「監督に名指しで言ってください」と抗議したんです。それからはひと言も口をきかないし、目も合わせない。だから「外に出してくれ」と言ったんです。
テリー それでオリックスに行くことになった。
山崎 はい。1年目は石毛(宏典)監督にすごくかわいがってもらったんですけど、2年目に伊原(春樹)さんがみえた時、野球観が全然違うんですね。
テリー どう違ったの?
山崎 「攻め」というか、打つことに関してあんまり欲のない監督なんです。それに、ぶっきらぼうというか、人の気持ちは意外とどうでもいい方だったんですよね。だから、若手とベテランを一緒にされたらこっちも困るぞと。僕はやっぱり年齢によって、実績によっていろいろ変えていかなきゃいけないと思うんですけど、ミソクソ一緒な感じにされたもんですから「ボケ」って言っちゃったんですよね(笑)。
テリー で、ぶつかった。
山崎 はい。僕はその時は野球を辞める覚悟でいたので、悪い言い方をしたら、1人で死ぬのが嫌だと。道連れにしてやろうと思ったので、監督室にバットを投げつけたり、メチャクチャやってましたね。
テリー やっかいだなぁ(笑)。
山崎 やっかいな男でしたよね。ナゴヤドームで3連戦があったんですけど、僕の地元なので、お客さんを何百人も呼んでいたんですが、1戦目2安打で、これで2戦目も出られるなと思ったら、スタメンを外されて。
テリー 2安打打ったのに?
山崎 ええ。「僕の地元だし、2安打も打ったのに、それはないでしょう」って言ったら、「そんなもの俺が決めることだ」って。頭にきてGMに言いに行ったんです。そこでGMが何か伝えてくれたみたいで、伊原さんが「お前、GMに言うのはおかしいじゃねえか」と言って来たので、「お前がおかしいんだろう!」とまた返しちゃって、最後にバットをバーッと投げつけて帰って行ったんです。
テリー ひどいね(笑)。
山崎 新聞には、僕がボイコットしたと載っていたんですが、監督に「お前、そんな状態じゃ野球できないよな。帰っていいぞ」と言われたから帰ったんです。だから、あれは監督の許可のもとなんです。
テリー 今は、野球評論家にもなったから、伊原さんにも会うでしょう。そういうのは平気なの? ペナントレースが始まった時に「監督どうですか、調子は?」とか言うのかな。
山崎 そういうおべんちゃらは、一切僕は言わないです。まだ仕事上ではお会いしてないですけどね。「大人になれ」とよく言われますが「自分の人生を変えられたヤツに何でしゃべらなきゃいけねえんだ」というのが僕の考えなので。
テリー でも、もう少ししたら山崎さんも大人になるよ。
山崎 いや、まだまだならないと思います(笑)。