横浜一筋17年、元プロ野球選手の鈴木尚典氏といえば、1990年、ドラフト4位で横浜大洋ホエールズ(現在の横浜DeNAベイスターズ)に入団。97年、98年と2年連続で首位打者のタイトルを獲得。97年はリーグ2位で球団7年ぶりのAクラス入り、98年は球団38年ぶり2度目となったリーグ優勝と日本一に貢献。この年の日本シリーズでは、MVPを受賞する活躍ぶりだった。
その鈴木氏が、プロ野球のOB、1300人が所属している「プロ野球OBクラブ」のYouTubeチャンネル〈プロ野球OBクラブチャンネル〉に出演。実は、97年まで背番号「51」をつけていた鈴木氏だが、98年から「7」に変更している。
同チャンネルの8月8日付け投稿回〈鈴木尚典が今でも忘れない駒田徳広の一言!〉で、「同じ左バッターの吉村さんみたいな、打率もホームランも打点も残せて勝負強いバッターになりたかったんで」と、巨人で活躍した吉村禎章氏にあこがれていたことから、吉村氏の「7」にあやかり変更したことを振り返った。そして実はもう1人、鈴木氏の背番号変更を“後押し”する人物がいたことを明かしたのだ。
「パ・リーグに凄い51番が居たんで。それと苗字も一緒だったんで…」と笑う鈴木氏。その存在とは、当時、オリックスブルーウェーブに在籍し、後に、日本が誇るメジャーリーガーとなったイチロー氏だ。
「意識するレベルじゃないんですけど、向こうはとんでもないスーパースターですから」と、鈴木氏は謙遜を交えたような口ぶりで、イチロー氏を讃えたのだった。
かつて、柔道家の田村亮子氏が2000年のシドニーオリンピックで優勝後、元プロ野球選手の谷佳知氏と結婚し、04年のアテネオリンピックに挑んだ際、「田村でも金、谷でも金」との発言通り、2大会連続で金メダルを獲得した。
今回の投稿回では、さしずめ、「51番でも首位打者、7番でも首位打者」とでも言えそうな、味わい深い話を鈴木氏から拝聴できた。
(ユーチューブライター・所ひで)