「昭和の歌姫」の衝撃自殺から四十九日が経過したタイミングで、大物ノンフィクション作家・沢木耕太郎氏が「緊急刊行」した藤へのインタビュー本。取材は33年前に行われ、当時、出版されるはずだったが、なぜ今まで封印されていたのか。かつて藤とニューヨークで同居していた女性が、2人の「禁断の真実」の一部始終を初めて明かした──。
「私が『なぜ、ニューヨークに来たの?』と彼女に尋ねると、『実は、沢木耕太郎を待っています』と、答えたんです」
直撃取材に、こう当時を振り返るのは、ライターのマコこと田家正子さん。正子さんが言う「彼女」とは、去る8月22日に西新宿の自宅マンション13階から飛び降り自殺した藤圭子(享年62)のことだ。
正子さんは、79年に藤が芸能界を引退後、渡米先のニューヨークで、3カ月間一緒に暮らしていた女性である。
正子さんが語る、さらに詳細な「藤と沢木氏の関係」は後述するが、彼女の証言が今、注目されるのは、「一瞬の夏」「深夜特急」などの作品で知られ、熱烈なファンも多いノンフィクション作家の沢木耕太郎氏(65)が、先頃、藤へのロングインタビューをまとめた「流星ひとつ」(新潮社)を「緊急出版」したからだ。
ホテルニューオータニのバーを舞台に、会話だけで構成された異色のノンフィクションで、インタビューが行われたのは、79年。低迷期を迎え、芸能界引退を発表した直後の藤は当時28歳。沢木氏は31歳だった。同書によれば、
「インタビューなんてバカバカしいだけ」
と、初めは嫌悪感を隠さない藤だったが、しだいに自身の生い立ち、小学校5年の時に鼻歌がきっかけで歌手の才能に気づいたこと、下宿の2階から縄を使って外に抜け出してデートをした前川清との結婚と別れ。さらに、
「喉を切ってしまった時に、藤圭子は死んでしまったの。今ここにいるのは別人なんだ。別の声を持った、別の歌手になってしまったの」
と、喉の手術をして歌声が変わり、引退を決意したことなどを赤裸々に語っている。インタビューは当時、「別冊小説新潮」で掲載後に単行本にする予定だったが、「封印」されたという。その理由を沢木氏は同書の「後記」でこう明かす。
〈藤圭子も芸能界に戻って、歌うようにならないとも限らない。そのとき、この『インタヴュー』が枷にならないだろうか。自分で自分にブレーキをかけてしまうことになるかもしれないし、実際に「復帰」したらしたで、マスコミに「あれほどまでの決意を語っていたのに」と非難されたり嗤われたりするということがあるかもしれない。(中略)引退する藤圭子を利用しただけではないのか〉
自問自答の末、当時の担当編集者に相談し、刊行を断念したという。
それが藤の自殺を機に、緊急刊行という形で「解禁」された理由について、スポーツ紙デスクは言う。
「宇多田ヒカル(30)が自身のホームページで、『彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられました』と、母へのコメントを発表しました。それが沢木氏には歯がゆく、藤の強い精神や素顔を伝えたかったのでしょう」
だが一方で、それだけが理由ではないと、あるベテラン芸能記者はこう話す。
「沢木氏は取材を通じ藤と親密になりすぎ男女の関係になってしまった。沢木氏の職業的倫理観から、“深い関係”にある女性を取材した作品は出せないと判断。それが刊行を断念した理由ではないか、とまで一部で噂になっていたんです」
ここで、冒頭の正子さんの証言に戻れば、藤は、「沢木氏と一緒に暮らせることを信じてニューヨークで待っていた」というのである。
◆10/22発売(10/31号)より