投手の変化に人一倍敏感なのは、嶋の置かれた環境によるところが大きい。
嶋は入団した当時、エースだった岩隈久志(現マリナーズ)が投げる場合、ほとんどは藤井彰人(現阪神)がマスクをかぶることが多かった。「エースのボールを受けてこそレギュラー」という思いが強かった嶋は、自分と藤井のリードの差を考えると同時に、のちにエースに成長した田中に対しても、いかに気持ちよく投げてもらうかを常に考えていたという。
「食事をしたり、話しているうちに少しずつ性格もわかりかけてきた。責任感と向上心はすごいなと思った」
嶋が分析した田中評だ。そして、今季の変化についてもキャンプの時点でこう言及していた。
「高めのボールの伸びは以前からいいものがあった。それに加えて、低めの球も今まで以上に力がある。これを生かさない手はない。よほどいいオフを過ごしてきたと思う」
だがプロの世界はそんな甘いものではなかった。それを思い知らされたのは、日本代表として臨んだ2月のWBC合宿だった。
「日本代表に来ただけじゃおもしろくない。やはり中心になって働かないとダメなんですよ」
第2回大会連覇直後のロサンゼルスのドジャースタジアムでの祝勝会で田中が語っていた姿を見た時、「次こそ自分が代表を引っ張る」という思いを強く感じた。しかし気持ちばかりが先行する中で、田中には一つの不安があった。
ふだんの生活でも自分の隣にいつも携帯し、少しでも指になじむように訓練してきたWBCの使用球が、手になじまなくなっていたのだ。合宿が近づくにつれ、異物感すら感じるようになっていた。使用球に使われている皮の質が滑りやすく感じる一方、縫い目のバラバラも気になり始めていた。
指先の器用さは「ダルビッシュ以上」(佐藤コーチ)とも言われる田中だったが、WBC合宿では、スライダーを上手に操る前田健太(広島)に比べて、その評価が逆転するようになっていった。
2月17日、宮崎の合宿での練習試合に臨んだ田中は、広島戦に先発したものの連打を浴びた。23日のオーストラリアとの壮行試合でもピリッとしないまま先発から外れ、同世代の前田がエースの座を担った。
迎えた3月6日の福岡ドームのキューバ戦、4回裏に3番手で登板した田中は、2連打を浴びていきなり失点。だが、そのあとはキューバ打者を5連続三振。二次リーグの台湾戦でもオランダ戦でも2イニング無失点で抑え、悪いなりにも復調の兆しを見いだしてきたところだったが、最後まで結果を残すことなく、準決勝で敗退。
田中の不調を心配した嶋が、「焦らず力まず腕を振れ。将大らしくやればいい」とメールを送ったことは、傷心の中にあって小さな救いだった。
◆スポーツライター 永谷 脩