田中が、躍進の片鱗を見せたのが、WBC敗退後、帰国して初マウンドとなった3月26日の巨人とのオープン戦だった。
キャンプでの第一声となった声出しでは「優勝するぞ」と叫んだ田中。星野監督の思いと同じく、巨人を破って日本一になるという誓いだった。それだけに初マウンドでは、下手な結果を出すわけにはいかなかった。5回からマウンドに上がった田中は、6回に一死二、三塁のピンチを背負うと、谷佳知、橋本到を凡退させた。また7回一死三塁の場面でも坂本勇人、石井義人を打ち取り「走者を出しても点を取られない」ピッチングを確立していった。
5月から始まった交流戦での巨人戦は、田中にとって気持ちが高まるマウンドだった。5月22日の登板では、いきなり先頭打者の長野久義に先制ホームランを打たれて気持ちが落ち着かないまま、続く石井にもヒットを打たれた。が、坂本、阿部慎之助を三振で打ち取ると立ち直り、9回完投で7勝目をあげた。失点も初回の本塁打のみだった。
「坂本や澤村(拓一)はやっぱり意識した」
と田中は1点差の逃げ切り勝利を満足気に振り返った。
そして2度目の交流戦の対決となった6月9日の試合でも、7回を投げて3安打、無失点で内海哲也に投げ勝っている。田中が巨人戦で負けたのは、杉内俊哉がノーヒットノーランを達成した12年5月30日の試合だけ。巨人戦にはなみなみならぬ自信を持っていた。
「相手が強い巨人であればあるほど、負けたくないという思いはある。特に同級生(坂本)にはね」
田中は巨人との日本シリーズに特別な感情を持っていたが、それは嶋も同じである。特に高3のセンバツで嶋のいた愛知の中京大中京高は、巨人の西村健太朗がいた広島・広陵高に1回戦で負けていることもあり、巨人への敵対心が人一倍強かったこともチームのモチベーションを大いに高めた。
交流戦で巨人に2勝をあげた田中の好調ぶりは続いた。「投げる試合は全て勝つ」の言葉どおり、6月9日の巨人戦以降、投げる試合に全て勝ち星がついている。ただ一度だけ、連勝ストップかと思われたのが7月26日のロッテ戦だった。
田中は鈴木、井口に本塁打を打たれ、2対1とリードされたまま、9回のマウンドを降りた。そしてその裏、抑えの益田直也に対して、押し出しの四球で同点にすると、嶋がまたしてもセンター前ヒットのサヨナラ打で勝ったのだ。「マサヒロを負けさせたくなかっただけ」と語った嶋の働きが、田中のピンチを救ったのであった。
その後、元ソフトバンクの斉藤和巳の持つ開幕15連勝の記録を破り、元西鉄の稲尾和久(57年)、元巨人の松田清(51~52年)の20連勝と肩を並べたのは、8月9日のソフトバンク戦。
圧巻だったのは、7回一死三塁のピンチにマウンドに野手が集まった際のことだった。この時に嶋が「マサヒロが望む守備位置にしろ」と声をかけ、主将の松井稼頭央も「そのとおりに守るから」と納得した。
この時、田中は「前進守備でお願いします」と1点もやらない姿勢を示し、その結果、江川智晃を三振に打ち取り、ゲームセットとした。最後に速球勝負をさせた嶋は「日本記録のその場にいられたことはうれしい」と顔をほころばせた。さらには「16勝のうち2勝は貢献できたかな」とおどけてみせた。田中もこうした野手のバックアップを受け「皆と一緒に野球をやっているんだ」と思ったという。田中の記録が楽天に一体感を作り出したのだ。
◆スポーツライター 永谷 脩