70~80年代のプロレス界を牽引した伝説のレスラー、ドリー・ファンクJr.(72)&テリー・ファンク(69)。その兄弟タッグ「ザ・ファンクス」が、全日本プロレスで22年ぶりにファン感涙の復活を果たしたのだ。
「最大のレジェンドレスラー、プロレス界のメシア(救世主)ですね。試合内容はともかく、入場曲『スピニング・トー・ホールド』が会場に流れ、2人が登場するだけで、十分に盛り上がるんですよ」
こう語るのは、プロレスライターのターザン山本!氏。
10月27日の全日本プロレス両国国技館大会「ANNIVERSARY TOUR 2013」最終戦にザ・ファンクスが登場。一夜限りの「復活リング」に臨んだのだった。
スポーツライターの市瀬英俊氏が回想する。
「ザ・ファンクスは、かつて『親衛隊』と呼ばれる白いボンボンを持った10代の女性、高校生などに応援されるなど、アイドルの追っかけみたいな一面もありましたね。今回の復活試合(対渕正信・西村修戦)はドリーのエルボー・スマッシュと、テリーのサウスポーのパンチ、スピニング・トー・ホールドが見られればそれでOKっていう感じだったんじゃないでしょうか」
前出・ターザン氏も、
「今の40~50代は当時、青春時代の真っ盛り。誰もがプロレスに熱狂していた時代です。この年代は過去に生きる傾向がありますから、ドリー&テリーは強烈に記憶に残っていますし、本当に彼らの来日を楽しみにしていたと思いますよ」
ザ・ファンクスといえば、77年「世界オープンタッグ選手権」の最終戦で、ヒール役のザ・シーク&アブドーラ・ザ・ブッチャーのタッグが反則技のフォーク攻撃でテリーの右腕を大流血させた激戦が記憶に残る。惨状を見かねたドリーが助ける兄弟愛で、幅広い世代から人気を得たのだった。
「テリーは膝の故障を理由に83年に引退したものの、治ったという理由で84年にひょっこり復活しています。プロレスラーは引退宣言しても戻ってくる人は多いんですよね。日本ではテリーはベイビーフェイス(善玉)として人気が出ましたが、85年にアメリカでWWEと契約してからは、ヒール役で活躍したと聞いています」(前出・市瀬氏)
これがかなりハード系でリングにテーブルを置き、その上でパイルドライバーなどということも。
一方のドリーは、「80年代後半以降は、アメリカでレスリング教室の先生をやっていました」(前出・市瀬氏)
そのかたわら、00年代までは全日本プロレスに外国人レスラーをブッキングするなど、裏方としてプロレス界を盛り上げていた。そして08年3月には日本で引退マッチ。全日のマットに兄弟がそろって上がるのは実に91年以来だったのだ。
今なお絶大な人気を誇る2人だけに「二夜目の復活」もあるかもしれない。