民放の開局第1号にして、常に視聴率争いのトップを争う日本テレビ。巨大な組織には、女子アナたちの複雑な事情も点在する。
女子アナブームが過熱した92年、先行するフジに負けじと日テレも「DORA」というアイドルユニットを結成。その中心にいたのが永井美奈子(55)であった。永井は96年の退社後もフリーアナで活躍したが、01年に実業家と結婚。
「その後の出産もあり、なるべくテレビには出ない道を選択。クラシックコンサートの司会やエッセイの執筆など、マイペースな活動を続けています」(日テレ関係者)
同じく「DORA」の一員だった藪本雅子(53)は、報道局記者への異動を経て、フリーに。記者時代からハンセン病報道をライフワークにしており、退社後は上智大学大学院で修士号を取得する。
また「国際女性会議WAW!」のアドバイザーに就任し、19年6月には、自身の性暴力被害を公表している。女子アナ時代も清原和博や、なべやかんなど有名人とのトラブルを口にしていたが、見て見ぬふりができない性格は変わらないようだ。
一時は「好きな女子アナランキング」の1位に輝いた西尾由佳理(43)は、11年8月の退社後はフリーアナに。ただ、期待されたほどの活躍とはならず、今年2月に新型コロナウイルスへの感染を公表。皮肉にも久々にニュースの提供者となって登場した。
97年に入社した馬場典子(46)は、12年にスキャンダル報道が続く。
「文春に局内のリークと思われる『横領疑惑』を書かれ、さらには発端となった『二股セフレ』の存在まで。結局、担当番組を次々と外されることになり、14年に退社へと追い込まれました」(放送記者)
それでも、フリーアナとして再起した馬場は、今では大阪芸術大学放送学科教授の肩書きも持っている。たくましいことこの上ないだろう。
日仏ハーフアナとして豊満ボディを誇った葉山エレーヌ(38)は、なんといっても、12年に年下男性と結婚に至った報道が強烈すぎた。
「エレーヌのマンションをカメラマンが張っていたら、男と一緒にいたマンションの窓がガラ開きで、外から丸見えの形で激しく愛し合っていたとのこと。さすがに、誌面に『あの場面』の写真は自粛されていましたが‥‥」(フリーカメラマン)
ただし、14年にはスピード離婚。こうした奔放な言動が災いしてか、16年にはアナウンス部兼任でインターネット事業局へ異動。18年にはアナウンサー職を解除して総務局、20年には総務局ファシリティ事業部へと異動を重ねる。もはや、女子アナとしての姿を見ることは絶望的なようだ。
エレーヌに負けじと奔放なイメージだった宮崎宣子(41)は、病気休業などを繰り返し、毎年のように退社報道が出たが、実際に退社したのは入社から丸10年後の12年。フリーになって離婚も経験したが、現在は自身の個人事務所に加え、ハーブの会社も設立。今や勝ち組に転じている‥‥。