ここ数年はメディアに出ずっぱりの吉岡だが、ファニーフェイスでつい気付かないでいたが、すでに28歳のいいオンナ盛り。実は、ふんわりフェミニンな印象とはかけ離れた、男気のある半生を送っている。これまでの経歴を簡単に振り返ってみよう。
吉岡は京都の太秦出身で、映像会社を経営するカメラマンの父とアパレル業界で働く母、2歳下の弟の4人家族で育った。両親の影響で、幼少期から映画、演劇、音楽、アートに加え、歌舞伎や落語、能、日本舞踊などの古典芸術が身近にある環境だったという。7歳から始めた書道は八段で、一時は書道家を目指すほどの腕前。中学時代は吹奏楽部に所属してアルトサックスに打ち込み、現在も特技のひとつに挙げているほどだ。芸能記者が明かす。
「女優を志望するようになったのは、高校3年生の時。小劇場の舞台を見て衝撃を受け、俳優養成所に通い始めた。高校卒業後には大学生が制作する自主映画に出演、小劇場の舞台にも立つようになりました。しかし、演劇の中心は東京だと判断して、東京の俳優養成所に通うように。東京と京都を夜行バスで往復する生活は5年も続き、その費用は居酒屋、カフェ、歯科助手などのアルバイトをいくつも掛け持ちして賄ったといいます」
外見に似合わず、相当な覚悟と信念、ガッツの持ち主なのだ。
12年末に現在の所属事務所に入り、翌13年より芸能活動をスタート。多くの映画やドラマのオーディションに参加するものの落選が続き、14年7月発売の「週刊プレイボーイ」でグラビアデビューした。
「清楚系のかわいらしい顔と巨乳のギャップがウケるようになり、セクシー路線のイメージが強くなった。現在もこの路線を引きずっていますね」(芸能記者)
しかし、吉岡本人はあくまで女優志望。15年放送のNHK連続テレビ小説「あさが来た」で注目され、16年放送の宮藤官九郎脚本作品「ゆとりですがなにか」(日本テレビ系)で、ようやく女優として芽が出始めると、ここから一気に大ブレイク。以降、リクルート「ゼクシィ」の9代目CMガールに選出され、日清食品「どん兵衛」、UR都市機構の「URであーる」、ソフトバンク「Y!mobile」など、CM登場も増えていく。名実ともに人気女優の仲間入りを果たしたのだ。