プロ通算219勝の名球会投手山本昌氏。中日ドラゴンズ一筋で活躍し、1983年にドラフト5位で入団するも、初勝利は5年後の88年と遅咲きだった。しかし、2006年にNPB史上最年長となる41歳でのノーヒットノーラン、08年には同じく史上最年長で200勝に到達し、15年10月にはNPB史上初となる50代での登板も見せた。
そんな山本氏を長年支えてきたのは、代名詞ともされるスクリューボールである。いったいどんな名コーチから指導を受けて、苦心の末にマスターしたのかと、かねてより想像していたが、元プロ野球選手・大久保博元氏のYouTubeチャンネル〈デーブ大久保チャンネル〉に出演した山本氏の口から明かされたのは、「驚きの真実」だった。
4月18日に〈第二話 アイクさんと過ごした下積み時代〉と題して公開された投稿回を観てみると、それは88年の春、当時の故・星野仙一監督の指示により、MLBのドジャース傘下のマイナーリーグのベロビーチ・ドジャースに交換留学生の立場で所属していた時のことだ。
事実上の戦力外通告を受け、気落ちしていた山本氏。ふと目に映ったのは、試合前に遊びがてらキャッチボールする内野手の姿だった。やたらと曲がる球を投げていたそうで、ピッチャーのプライドも捨てて教えを請うたところ、そのメキシコ人内野手は気さくに応じてくれた。そして、その2日ほど後に敗戦処理の試合で試したところ、みごと4番バッターから三振を奪った。それがスクリューボールであり、「スクリューボールなんて、3日で覚えたんだよ」と言う山本氏。これに大久保氏は「5年間何してたんですか…」と笑いを誘っていた。
ちなみに、そのメキシコ人内野手は、その年の6月にクビとなったそうで、「ボクが日本で50歳まで投げたなんて絶対知らないはずなの」と語る山本氏をレジェンドまで高めたのは意外な選手がきっかけだったことがわかる興味深い回だった。
(ユーチューブライター・所ひで)