歌番組にまつわる「禁断のエピソード」は尽きない。意外な事実を一挙に乱れ打ち!
現在も続く歌番組として最古参になったのが、テレビ朝日の「ミュージックステーション」(86年開始)だ。通称「Mステ」では、タモリが「史上最大」と呼ぶ事件があった。
03年6月27日、ロシア出身で日本でもブレイクしていた「t.A.T.u」の出演が目玉だったが、オープニングの顔見せに登場したあと、歌の出番になっても登場せず。
「えー、t.A.T.uが出たくねえということです。控え室から出てこないということです」
司会のタモリが冗談交じりに説明。控えにいた出演者たちは、むしろこの事態を拍手で楽しんでいた。また、11年の25周年特番では、浜崎あゆみ(42)が出演をドタキャン。
「スタッフが帰りの搭乗チケットを間違えた」
浜崎は責任をなすりつけたものの、どうやら大トリの座をAKB48に奪われたことに我慢がならなかったらしい。
NHKの「レッツゴーヤング」(74~86年)では、厳密にはオンエア中の事故ではないが、その直前に悲劇が起きる。81年10月5日、河合奈保子(57)のリハーサルで、4メートルもNHKホールのセリから落下してしまう。
当時、奈保子と同期の田原俊彦と松田聖子が司会に加わっていたが、その目の前で視界から消えたことになる。奈保子は第一腰椎圧迫骨折で2カ月の療養を強いられたが、同年大みそかに初出場した紅白の舞台もまた、NHKホールであった。
TBSの「ザ・ベストテン」に対抗し、日本テレビが始めた「ザ・トップテン」(81~86年)もまた、迷場面が多い。音楽ライターが振り返る。
「83年3月28日に沖縄から中継予定だった松田聖子(59)は同日、現地で暴漢に襲われていたと番組で発表。知らされていなかった司会陣と客席からは、悲鳴が上がりました。また、同年の11月28日に『瞳はダイアモンド』が10曲目のランクインでも、お祝いしようとしたところに暴漢が乱入。司会の堺正章が払いのけましたが、会場には緊迫した空気が流れました」
中森明菜は常連の出演者だが、84年10月22日、「十戒」でランクインしたものの、一部の観客から「帰れコール」が起こってしまう。
さらに災難は続き、88年3月28日には、歌っている明菜に近づいた男がノートを投げつけ、警備員に取り押さえられたことも。
「84年8月6日に『ふたりの愛ランド』が大ヒットしていた石川優子とチャゲが出演しましたが、ここでセットに本物のペンギンがいたんです。チャゲはドライアイスで滑ってしまい、ぶつかったペンギンに腕を噛まれるという、災難に遭いました」(音楽ライター)
フジテレビの深夜番組「オールナイトフジ」(83~91年)では、生ライブのコーナーがあったが、深夜帯だったためハプニングは数えきれないほど。
「萩原健一(享年68)は、ゲストでありながら全く歌う気がなく、司会の片岡鶴太郎のズボンを脱がすことに躍起になっていました。歌手で登場した石田えり(60)は、黒の下着という悩ましい姿で歌いましたが、勢い余って引っくり返ってしまい、あわや見えてはいけないものが見えそうになった」(放送作家)
そしてレギュラーだったとんねるずは「一気!」を歌いながら、撮影カメラを倒してしまう。実に1500万円もの損害を与えてしまったが、同時に大ブレイクのきっかけともなった。