「江夏の21球」とは、1979年の日本シリーズで、広島カープと近鉄バファローズの互いに譲らぬ第7戦目における、広島・江夏豊氏の9回に投じた球数「21」を差し、これにより広島は日本一に輝き、後に作家の故・山際淳司氏が「江夏の21球」という短編ノンフィクションを書き記し、プロ野球屈指の名場面として語り継がれている。
日本プロ野球名球会が運営する公式のYouTubeチャンネル〈日本プロ野球名球会チャンネル〉に、6月6日付けで〈【衣笠祥雄と江夏の21球】広島カープ 江夏豊×近鉄バファローズ 鈴木啓示 明暗を分けたあの試合をいま振り返る<日本プロ野球名球会>〉と題して公開された投稿回に江夏氏が出演。実はノーアウト満塁のピンチを迎えた9回、自陣のある行為に怒り心頭であったことを明かした。「同点よりも、サヨナラ負け…1点で止めるのは難しいだろうなという思いでマウンド上におったんですよ」と、満塁時のピンチを振り返った、その江夏氏の目に飛び込んだのは、控え投手が投球練習を開始しているブルペンだったという。
「ふざけるな!何を考えてるんだ!オレを代えて誰をマウンドに上げるんだと…。もうそれを思い出すと心の中から練炭が燃えているようで」と当時の心境を語った江夏氏。その心情をおもんぱかり、ファーストを守る故・衣笠祥雄氏から「お前しかいないんだから、よそ見しないで前向いて投げろ」と、練炭の火を消してもらったとも語る江夏氏だった。
偉業を成し遂げた人には、後で思えば奇跡的だったと感じる事象があるものだ。広島ブルペンの投手陣、さらには衣笠氏の思いやりのある言葉も。どれも今となっては、「江夏の21球」を盛り上げる“奇跡の一つ一つ”だったのかもしれない。
(ユーチューブライター・所ひで)