テリー 出身は千葉県なんだね。どういう経緯で芸能界に来たの?
吉野 青山学院の女子短期大学に通っていた時に、当時の事務所の方に原宿で声をかけていただいて。大学時代は幽霊部員みたいな感じで、芸能活動は何もしなかったんですけど。で、会社を辞めた後で、もう1回チャレンジしようかなと思って。
テリー 会社って?
吉野 大学を卒業して、プログラマーになるような会社に1回就職したんです。でも、どんどん技術が発達していく中で、ついていけなくなって、3、4カ月ぐらいで辞めました。
テリー それはけっこう傷つくね。「あぁ、私って社会に適応できない」って。
吉野 凹みましたね。それでしばらく居酒屋のバイトだとか、フリーターをして。
テリー それでまた芸能界で頑張ろうと思って、グラビアを始めるの?
吉野 もともとは「スピーチーズ」っていう4人組のアイドルで、競輪場で歌ったり踊ったりしてたんですけど、当時AKB48さんとかのアイドルさんって、すごくグラビアをやっていて、「グループに入る」=「グラビアをやる」って勝手に思ってたんです。けど、そのグループが全然やらなかったので、「じゃあ、やってみようかな」と。
テリー ということは、「4人の中で私のオッパイがいちばんキレイじゃん」って自信があったわけだ。
吉野 正直、私よりいい体の子もいたので、それは全然思ってないです。ただ、そのほうがアイドルとして上手くいくのかなって、なんとなく始めたのが24の時ですかね。
テリー 20歳までは普通の学生でしょう。モテたよね。
吉野 いや、女子大だったので。
テリー 青学の構内なんて男もいっぱいいるじゃない。
吉野 でも、校舎がけっこう離れてたし、当時、変わった趣味に打ち込んじゃってて。ボルダリングをやってたんです。
テリー え、変わってないよ。オリンピックでも人気競技だったし。
吉野 今でこそ若者たちの格好いいスポーツというイメージですけど、私が始めた12年前ぐらいは、まだ登山好きのおじさんたちの中でもちょっと変わった人がやるスポーツだったんですよ。だって、登山の最中に岩に登っちゃうんですから、変じゃないですか。私は船橋にある老舗のジムに行ってたんです。変わったおじさんの集団に囲まれていたので、可愛がってはもらいましたけど、モテるとかいうのはなかったです。
テリー 今は事務所を辞めてフリー?
吉野 はい。3年前ぐらいから。
テリー マネージャーもいなくて、1人で全部やるって大変じゃないの?
吉野 お金の交渉の仕方がわからなかったり、正直、大変なところもあります。今のところないですけど、何か揉め事があったら、たぶん守ってもらえないだろうなとか。
テリー そうだよなぁ。じゃあ今日もこれが終わったら、スマホ見て、「何か仕事入ってるかな」って見るわけ?
吉野 もし何か依頼が来てたら「どうしようかな」って考えます。
テリー 断ることもある?
吉野 基本的にスケジュールが合えば受けるんですけど、「あまりにも、ちょっとこれは」っていうのは、やっぱりお断りしてますね。