大洋ホエールズ一筋の元プロ野球選手・平松政次氏といえば、1970年と翌71年に最多勝利のタイトルを獲得。
2年連続というのは、故・金田正一氏、故・村山実氏、江川卓氏、斎藤雅樹氏といったレジェンドクラスの投手に並ぶセ・リーグ最長タイ記録であり、プロ通算201勝で名球会入りも果たしている。
その平松氏が、元プロ野球選手・大久保博元氏のYouTubeチャンネル〈デーブ大久保チャンネル〉に出演。1966年第2次ドラフトで大洋から2位指名を受けて入団するも、「長嶋(茂雄)さんと一緒に野球がやりたかった」と、実は巨人の大ファンだったと告白。しかし、もし巨人に入団していたら、名球会入りは果たせなかったのでは…といった興味深い話も飛び出した。
同チャンネルの9月25日付け投稿回〈第一話【岡山の英雄】カミソリ平松さん初登場〉でのことだが、その中で、甲子園の優勝投手でもある平松氏に、当時の巨人の監督である故・川上哲治氏は、バッターとしての可能性を感じ取っていたことが平松氏の口から明かされた。
王貞治氏、柴田勲氏といった「投手から打者に転向」を成功させてきた実績がある川上監督だけに平松氏への評価も“先見の明”だったはず。平松氏は、「巨人入ったらバッターにならされてると思う」とも語ったのだった。
しかし、これを受け、大久保氏は、「(巨人に入団していたら)1500本(安打)くらいな感じで終わったんでしょうね?」と、“名球会には届かなかったのでは”という意味のジョークを放つ。すると平松氏が「そんなに打ってないでしょ…」と、謙遜してみせる一幕もあった。
世は「V9時代」。長嶋、王の両氏とともにクリーンナップを打つ平松氏の姿も見てみたかったが、そうなれば、平松氏の代名詞ともなった「カミソリシュート」は誕生しなかったことになる。「巨人VS平松氏」の名勝負を生み出したことを思えば、平松氏の大洋入りは、”野球の神様”の名采配だったかもしれない!?
(ユーチューブライター・所ひで)