肝臓ガンで闘病の果てに天国へ旅立った島倉千代子。結婚、離婚、3度の中絶、15億円超の借金返済、乳ガンと不幸に見舞われながらも、いつも笑顔で、己に厳しい芸の虫を貫いた。昭和の歌姫・島倉の“人生いろいろ”ぶりを、ものまねを通して見続けたコロッケ(53)が語る。
突然のことで、自分でもどうしていいのかわからない。正直、ショック状態が今も続いています。
出会いは20年も前になる。共演した島倉のコンサートでのものまねがきっかけだ。間近で初めて見るものまねを舞台の袖で凝視していたという。
僕のものまねは「パロディ派」だけに、ご本人を前にしてはなかなかできない。テレビより抑えてやったら「もっとやっていいのよ」「もっとふざけていいからね」とハッパをかけられて。その言葉どおりにやらせていただいたら「ちょっと動きすぎね」って冗談交じりに言うんです。そんなお茶目な方で、周囲への気遣いがすばらしかったです。
初共演以来、公私にわたるつきあいがスタート。87年発売の「人生いろいろ」は130万枚の大ヒットで、忘れられない曲となった。
「遊びにおいでよ」と言われて自宅にお邪魔したら、「サイズ測らせて」と言われて。後日「人生いろいろ」のCDジャケットで着てらした着物を、僕のサイズで早着替えできるように作り直した着物が送られてきたんです。「私の着物でものまねやってね」って言われて。恐縮しました。もうボロボロなんですけど、世界に1つしかない僕の宝物です。
「不幸のデパート」と呼ばれた壮絶な半生ゆえか、敬遠されがちで歌手仲間からの誘いが少なかった島倉。「お母さん」と呼んで慕う小林幸子が、食事会を開いては元気づけていた。
片岡鶴太郎さんや小林さんら5、6人で集まって、ふざけてものまねをやって盛り上がりました。帰る時、島倉さんに「楽しかったー、またこうやって会いたいわねー」って言ってもらえて感激しましたね。
最後に会ったのは12年4月。大阪・新歌舞伎座でのコロッケ公演でのゲスト出演だった。
ものすごくお元気でした。ステージに立つと、いつもどおり凛としてらっしゃいましたし。島倉さんは芸に対して真摯で舞台中央に出て行く歩数まで決めてらっしゃった。ダンスバージョンでものまねした時に「こういうのもいいわねー、私もダンス覚えようかしらー」と何にでも意欲的でした。一生涯かけて芸に邁進してきた方って、言葉の一つ一つに重みがあるんで、そういう気持ちでものまねをやっていかなきゃと自分に言い聞かせてます。
1月4日から1月29日までは名古屋・中日劇場で「コロッケ新春特別公演」が行われる。島倉のものまねをリクエストする客は多いが、封印したままでいる。
皆さん、「ふざけてる島倉さん」を望まれるんで、僕自身まだ気持ちの整理がつかないでいるんです。島倉さんがいらっしゃったら、「やっていいのよ」と言っていただけるかなという思いもありますけど、今はやっていて切なくなる部分が強くて‥‥。日本の宝がまたひとつ減ったという悔しい思いでいっぱいです。