桜塚やっくん(本名・斉藤恭央)が、37歳という若さで非業の事故死を遂げてから3カ月弱。彼がかつて組んでいたお笑いコンビ「あばれヌンチャク」で、相方だった声優・竹内幸輔(37)が心情を吐露した。
「亡くなってすぐあと、事務所の社長とやっくんの自宅に駆けつけて‥‥。キレイな顔でした」
長年の「盟友」を失った竹内。やはり、やっくんの死に関することには言葉少なになる。事故の直後は、自分の仕事もあり、事態をまったく把握していなかったという。事実を知ったのは報道によって。その衝撃は計り知れなかった。
「程なくして、マスコミの方からコメント依頼がかなり来まして‥‥。ただ、カメラの前でしゃべるのは嫌だったし、気持ちの整理もついてなかった。なので、『事務所のホームページか個人ツイッターで、コメントを出します。それを公式コメントにしてもらって結構です』と言ったんです。コメントを出さないと終わらない雰囲気でもありましたしね」
茫然とする中、パソコンの電源を入れた竹内だが、徐々に心境に変化があったという。
「関係者各位の皆様、みたいに書くつもりが、最初に恭央との思い出話を書き始めたら止まらなくなり、気がついたらオチなしの文章になっていた。あれ、これじゃ、恭央に怒られる‥‥と思った瞬間、いろんな思いがこみ上げ、急にそこから何も書けなくなっちゃって」
やっくんと竹内はそもそも大学時代からの親友で、一緒に劇団を作り、みずからは歌手を、やっくんは役者を目指していたのだ。そんな竹内をお笑いの道に誘ったのはやっくんだった。
「当初から恭央のパワーはすごくて、ヤツにどんどん引っ張られるような感じでお笑いの道に入っていきました」
こんなエピソードがある。
「仕事に対する完成度でも俺は慎重派、恭央は、何よりも時間がもったいないという考えだった。ともかく『少しでも早く世に出なくちゃいけない』って。今考えると、やはり、恭央のほうが芸能界向きなんですね。おかげで今の俺もある。そういった意味じゃ、素直に感謝してますよ」
また、やっくんにはこんな口癖もあったという。まだデビュー直後のことだ。
「『自分の等身大以上の写真が街に飾られるようになりたい。そうじゃなきゃダメだ』って。やがて、それが“桜塚やっくん”になったことで現実となった。看板を街で見た時、『アイツ、ホントにやりやがったな』と思いましたよ」
コンビ解散後も、友情は続いていた2人。亡くなる直前にはこんな話もあったそうだ。
「11月くらいに、また2人で『あばれ──』時代のネタをやろうか、って。それはもうかなわないことですが。今、ウチに、2人で作ったスケッチなどのネタが残っている。それを“思い出の品”にはしたくない。何とか世に出してあげたい。たとえ友人だけの小さなステージでもいい。恭央もきっとそれを望んでると思います」