女優が覚悟を決めたはずなのに…。脱ぎ姿のある写真集には、何かとトラブルがつきまとうもの。さらに、作者が精魂を込めて描いたマンガでも大きな諍いが起きて、すべてが消されてしまう。そんな闇に消えた発禁・回収の写真集、雑誌、マンガの秘録をここに!
「Get out!(出て行け!)」
1996年3月9日、英語でブチギレたのは女優・藤田朋子である。ヘアも見えるまでに衣服を脱ぎ、素肌をさらした姿を収めた写真集「遠野小説」(風雅書房)の出版差し止めを訴えて会見に臨んだが、一方的に用意した原稿を読んで、わずか2分で終了。まだワイドショーに元気があった頃だけに報道陣は収まらず、藤田のスタッフに詰め寄る事態となった。
この混乱で、藤田が英語で怒鳴る場面が何度もオンエアされ、結果的に「わがまま女優」のレッテルを貼られてダメージを負ってしまう。また“脱いだ姿は撮影したが出版はしないという約束だった”という内容の藤田の主張にも、総ツッコミが入った。
出版社側は出版差し止めの仮処分を受けたが、なんと、予定より早く写真集を書店に並べて、5万部を瞬時に売り切っている。
97年8月22日、ハタチの誕生日にヘアまで見える“脱ぎ”の写真集の発売を明かしたのは菅野美穂だ。会見で涙を浮かべる一幕もあり、物議を醸した写真集「NUDITY」(ルー出版)はたちまち80万部を売り上げた。
「ところが、版元が菅野の家族に対し、それ以上の増刷をしないという約束を反故にして、ひそかに28万部を増刷。金額にして4億円を巡る訴訟になりました」(芸能レポーター)
それ以降、中古市場を除けば一切、世に出回っていない。10年に発売された「20XX TOKYO」(朝日出版社)は、青山霊園で脱いだ姿の撮影を行ったとして、写真家の篠山紀信氏やモデルを務めた原紗央莉の所属事務所が家宅捜索される。篠山氏は公然わいせつ容疑で30万円の罰金となり、写真集も絶版処分に。
「先生も、モデルを外に連れて行かないとか考えたほうがいいと思います」
騒動後、原は厳しい言葉を篠山氏に浴びせた。
変わった形では、熊切あさ美の写真集「PINCH!」(02年、ワニマガジン)がある。写真集にNGカットが含まれていたことで所属事務所と出版社が紛糾し、発売直後に回収という事態に発展したのだ。
しかし翌月、熊切サイドはNGカットを除いた写真集を音楽専科社から「Trouble」と題して発売する強硬手段に出た。タイトルの「ピンチ⇒トラブル」という離れ業は、ある意味、見事ではあるが…。
作家・野坂昭如氏が編集長を務めた月刊誌「面白半分」(72年7月号、面白半分)では、永井荷風の小説「四畳半襖の下張」を掲載。裁判で76年に有罪判決を受けている。当該号は発禁処分になったものの、裁判に対する文化人の反論を載せ、毎号が完売状態になったという。
「モーニング娘。」の1期生である安倍なつみは、初のソロ写真集「ナッチ」(99年、ワニブックス)など、いくつもの詩集や写真集に掲載された詩が「小室哲哉やaikoなどの盗作」であったことが04年に発覚。
安倍は「自作の詩と区別がつかなくなって」と混乱の末に謝罪したが、2カ月間の活動休止に。過去の写真集などが絶版になっただけでなく、決まっていた紅白の辞退にまで追い込まれた。
さらに翌年に予定されていたソロシングルも発売中止になるという「負の連鎖」に見舞われたのである。
マンガの世界では、国民的な知名度を持つ「美味しんぼ」(雁屋哲・花咲アキラ、小学館)に事件が起きた。東日本大震災後の14年、「福島に行ったら鼻血が止まらなくなった」─この描写に「風評被害だ」と憤る被災地だけでなく、日本中を巻き込む論争に発展。これを受けて連載は休止となり、終焉への道をたどることに。
宮下あきらの出世作「私立極道高校」(80年、集英社)では、アシスタントのいたずらにより、滋賀県に実在する4つの中学校名と校章、さらに実在の卒業生の名前まで誌面に晒し、県の教育委員会が猛抗議。掲載した「少年ジャンプ」は回収された。
最後に、本宮ひろ志の「国が燃える」(04年、集英社)を紹介しよう。日本の戦争の歴史を描く意図だったが、いわゆる「南京大虐殺」の描写に右翼団体や地方議会議員のグループから猛抗議。連載は休載の後に再開されたが、単行本では該当部分が削除されていた。