主に広島東洋カープで活躍した元プロ野球選手・小早川毅彦氏。その小早川氏が、ヤクルトスワローズに移籍した1997年の開幕戦である東京ドームでの対巨人戦で、ヤクルトが苦手としていた斎藤雅樹投手から3打席連続ホームランを放った快挙を、いまだに強烈に記憶している人も少なくないのではないか。
これが災いしたか、斎藤氏は右腕の故障もあいまって、前年には5度目の最多勝利のタイトルに輝く目覚ましい活躍を見せたものの、この年は6勝でストップ。巨人は昨年のリーグ優勝から4位に転落し、一方、ヤクルトは2年ぶりのリーグ優勝と日本一を奪取したのだった。
その小早川氏が、プロ野球のOBが1300人が所属している「プロ野球OBクラブ」のYouTubeチャンネル〈プロ野球OBクラブチャンネル〉の、11月11日付け〈【これが野村IDなのか!?】「打ったのは僕ですよ」あの3連発を小早川毅彦が振り返る〉と題した投稿回に出演。その動画によると、あの3打席連続ホームランは、故・野村克也監督の執念が実った形だったようだ。
野村監督の分析によると、斎藤氏は「1ストライク3ボール」のバッター優位のカウントから、カーブでストライクを取りに来る。本来は1球待ってもいい状況ながら、そのカウントでカーブに狙いをつければ打てるのだとミーティングで力説していたのだとか。
第1打席では狙い通りのストレートに的を絞ってホームランを放った小早川氏は、続く第2打席でミーティング通りのカウントになり、野村監督の言葉を信じてカーブを打ってホームランにしたのだった。
広島時代には、斎藤氏のみならず、桑田真澄氏、槙原寛己氏といった投手全体に対するミーティングだったが、ヤクルトではミーティングの半分の時間を斎藤氏に割いていたそうだ。まさに97年のヤクルト優勝は、野村監督の執念が実った形であったことがわかる、見ごたえのある回だった。
(ユーチューブライター・所ひで)