故・野村克也監督が、監督として初の日本一に輝いたのは、ヤクルトスワローズでの1993年。森祇晶監督率いる西武ライオンズを相手に4勝3敗で下した。
ヤクルトは前年の92年もリーグ優勝を果たし、日本シリーズにコマを進めたが、同じく西武相手に3勝4敗と借敗しており、雪辱を果たす形となったのだった。もちろん、様々な要因はあろうが、92年と93年のヤクルトは、何が大きく違ったのだろうか?
この疑問に関連して、主に西武ライオンズで活躍した、石毛宏典氏のYouTubeチャンネル〈石毛宏典TV〉に、主にヤクルトで活躍した元プロ野球選手の川崎憲次郎氏が出演(2月23日付け投稿回)。川崎氏こそ、93年の「キーマン」だったことが明かされた。
川崎氏は、90年からローテーションの一角を担っていたが、92年は故障で1軍登録なくシーズンを終え、日本シリーズ出場を果たせずにいた。
翌93年は先発ローテーションに復帰。2桁勝利を挙げたが、10勝9敗と振り幅が大きく、動画で川崎氏は、「野村監督も半信半疑だったと思うんですよ。あいつに投げさせて良いのか…みたいなね」と回顧。そして川崎氏が日本シリーズのマウンドに上がったのは、ヤクルトが2勝1敗で迎えた第4戦。ところがこれを、リリーフの高津臣吾氏(現・ヤクルト監督)と完封リレー。第7戦でも先発登板した川崎氏は、初回に清原和博氏の2ラン本塁打で2点を奪われたものの、失点はここまでで、結果「4対2」で勝利。MVPに輝く活躍で、みごと日本一を勝ち取ったのだった。
川崎氏いわく、ブルペンで調子が良く、その好調がマウンドまで持続したのは、プロ野球人生で「多分5回あるかないかなんですよね。そのうちの第4戦、第7戦、あの2試合なんですよ」。
野村監督に最高のプレゼントになったことは言うまでもないだろう。
(ユーチューブライター・所ひで)