わずか20日違いで生まれた浅田真央とキム・ヨナ。氷点下のリンクを熱くする2人の人生は、奇妙に交錯していた。お互いの必殺ジャンプにたどりつく経緯は、98年の長野五輪──2人が8歳の時に見た風景に遡る。ソチ五輪での最終決戦を直前に控え、日韓・国民的アスリートの死闘秘話を明かす!
「彼女がいなければ、自分も成長できなかったと思う。切磋琢磨したことが、自分のモチベーションにもなっていた」
昨年11月29日、浅田真央(23)は、練習拠点の中京大アリーナで、英国の通信社・ロイターのインタビューを受け、ライバル・キム・ヨナ(23)に対する胸の内を明かした。
この発言を韓国の仁川空港で地元メディアから伝え聞いたキム・ヨナは、こう返答をしている。
「私も同じ考えです。ジュニア時代から浅田がいなかったら、今の私もいなかった。お互いに避けたい存在でもあったが、刺激剤になる選手でもあった」
誕生日がわずか20日違いの2人は、14歳から好敵手としてしのぎを削り、観衆を魅了し続けてきた。現在までの成績は15戦して、浅田の6勝9敗だ。2人の成長を見続けてきた元五輪代表の渡部絵美氏が語る。
「この2人の功績は、フィギュアスケート発祥地の欧州よりも、アイスショーの本場である北米よりも、アジアが強いんだということを世界中に知らしめてくれたことです。同時に、どの国の選手たちよりも、フィギュア界のレベルアップに貢献してくれました。真央ちゃんならトリプルアクセル(3A)で、ヨナちゃんはトリプルルッツ(3Lz)+トリプルトゥーループ(3T)のコンビネーションですよね。持ち味が違うから、勝敗数で優劣はつけられませんよ」
そろって5歳からスケートを始め、ともに“天才少女”と呼ばれた浅田とキム・ヨナ。初対決は04年12月、フィンランドのヘルシンキで行われたJGP〈ジュニアグランプリ〉ファイナル。2人が14歳の時だった。浅田はそこで大会史上初となるトリプルアクセルを決め優勝したのだ。浅田を紹介する海外解説者の興奮した口調が、彼女の偉業を如実に表している。
〈3Aに挑戦し、成功すれば歴史が作られます〉
そして、彼女の演技が始まるや、こう惜しみない称賛を贈っているのだ。
〈最初に3Aの予定ですが跳びます。すばらしい! 軽々と跳びます〉
〈ここでトリプルトリプルのコンビネーション。信じられません。優雅で芸術的〉
スポーツ紙デスクが振り返る。
「浅田の得点は172点台で、2位のヨナに35点以上の差をつけての勝利でした。あの当時はまだ、ヨナが浅田を追いかけるという構図で、浅田は『勝つのが楽しい』的なマイペースな発言をしていたと思います。ヨナは『真央と同じ舞台に立てた』ことを喜んでいたように記憶しています」
まだ、浅田の視界にキム・ヨナはライバルとして映っていなかった。
◆アサヒ芸能1/28発売(2/6号)より