フィギュアスケート解説者の佐野稔氏が語る。
「ミシェル・クワンはどちらかというと、今あるものをより正確に演じるタイプでしたね。確か“ミス・パーフェクト”と呼ばれていたんじゃないかな。その点では、ヨナさんの目指す演技に共通しますし、常に技を磨いていくタイプという点でも重なって映ります」
クワンは、五輪初出場となった長野で5種類のジャンプを7回の構成を完璧に演じた中国系米国人だ。安藤美姫のコーチだったニコライ・モロゾフ氏は彼女の演技を「見る者の魂に響く演技」と絶賛した。クワンと表現力に長けたキム・ヨナの重なりは多い。
一方、浅田の憧れたリピンスキーについて前出・佐野氏はこう解説する。
「当時15歳の彼女は3回転+3回転をポーンと入れて、年上のお姉さん選手たちができないようなことをやって金メダルをさらっていきました。そういうチャレンジャー的な演技は、真央ちゃんの常に新しいものに挑戦していくというフィギュアへの捉え方と似ているように思えます」
自身が憧れるリピンスキーが、のちのトリノ五輪の年齢制限規定に関係していたのは皮肉と言えよう。折山氏が話す。
「特例で出場したリピンスキーですが、金メダル後、まもなくして引退したのです。このことをきっかけに特例資格が見直され、明確なルールが制定されました。もしこのことがなく、特例でトリノに浅田が出場していれば、あのときの勢いから見て優勝してもおかしくなかった」
そのトリノでは、荒川静香(32)が日本人初の金メダルをもたらすのだが、スポーツ誌編集者が解説する。
「SPを終わって66点台が3人という大混戦の中、荒川サイドは優勝の鍵と言われたトリプルトリプルをFS〈フリースタイル〉であえて回避したんです。上位陣がミスで脱落し、その作戦がズバッとハマりました。ジャンプが最大の武器の浅田が出場していたならば、違った展開になっていたはずです」
浅田の母・匡子さん(享年48)も、バンクーバー五輪後に、本音を語っていた。
「トリノ五輪に出ていたら、真央は金メダルを獲ってたと思うの。当時はプレッシャーが何かもわからないままにピョンピョン跳んでいたし(笑)。でもね、あの時に金メダルを獲っていたら真央の成長は止まっていたと思う」
そして06-07シーズン、2人は4年後のバンクーバー五輪に挑むために拠点を海外に移し、新コーチを迎え、新たに動き始めた。浅田が選んだ先は米国の西海岸・ロサンゼルス郊外のレイクアローヘッド。キム・ヨナはカナダのトロントだった。