昨年末、競輪界のトップ選手23人が選手会を脱退、新選手会(SS11)を設立したクーデター騒動は、突如、新選手会側が謝罪して収束することとなった。はたして内部では何が起きていたのか。
「世界の“ケイリン”に向けたステータス向上と五輪でのメダル獲得を目指す」
として、12年12月19日に発表されたのが、一般財団法人「SS11」の設立だった。
「メンバーには、アテネ五輪銀メダリストの長塚智広(35)=茨城=や一昨年の賞金王・村上義弘(39)=京都=、成田和也(34)=福島=などS級S班(競輪界のベストナイン)5人を含む賞金獲得額上位の一流選手がズラリ。突然の移籍は異常事態だったのが一目瞭然だった」(競輪関係者)
00年から公式種目となったオリンピックでのケイリンの日本人選手のメダル獲得数は08年北京五輪における永井清史(30)=岐阜=の銅メダル1個のみ。そこで、捲土重来とばかりに、新選手会を設立したかに見えたが、実際は、選手会への“上納金”に対して不満を持ったため直接行動に打って出たというものだった。
別の競輪関係者が語る。
「実は、競輪選手は賞金の約1割を選手会に支払う仕組みになっており、その中から選手会運営費、そして全選手の年金や退職金が捻出されているんです。さらに、賞金とは別に、選手は1走ごとに1万500円を選手会に収め、7500円が退職金に、残りが年金などの共済金に充てられてもいる。つまり、一流選手ほど負担額も大きくなっていた。しかし、これは競輪の売り上げが、右肩上がりの時代ならよかったが、車券の年間売り上げは91年度の1兆9553億円をピークに、21年連続で減少しており、12年度は6091億円と3分の1にまで落ち込んだ。それに伴う賞金減少で年金などの積立金は元本割れしているとされ、年金は10年度から支給が停止、退職金も3年後に約20%カットの予定と、実質的に破綻しているんです。これに不満を持った賞金上位の選手が、決起したというのが真相なんです」
ところが、この動きに態度を硬化させたのは、当の選手会側だった。12月27日には、選手会理事・支部長会で、SS11全選手が求めていた退会を認めず、除名処分に。3日後の30日に年末の祭典「KEIRINグランプリ」を控えての厳しい対応に、SS11のメンバーは震え上がった。
「レースで他の選手にケガをさせた場合、共済会による補償制度で賄えますが、選手会を脱会すると共済会にも入れず、レース出走にさまざまな支障を来します」
と言うのは、本誌連載でおなじみの元競輪選手・山口健治氏だ。実際、競輪を統括する公益法人「JKA」はレース出走自体を可能としたが、他選手への補償問題などは解決できていなかったことが大きなネックとなったようだ。2.3名の選手が連携してレースを進める性質からも、仲間を大事にするのは“輪界の掟”。改革を進めるなら選手会の役員になるべきだったのだ。
「最終的にグランプリに出場予定だったSS11の9選手のうち、5選手は出走し、この時点で、SS11は空中分解。明けて11日には一部選手が、選手会への復帰の意思を示しました」(前出・競輪関係者)
1月21日の選手会総会では、脱会者に非難が集中した。
「中でも首謀者とされる長塚と武田豊樹(40)=茨城、元スピードスケート選手=は、地元・茨城の選手からも批判されていたそうです」(前出・競輪関係者)
前出・山口氏も怒りを隠さない。
「SS11には『自分らが一生懸命やっているのに、なぜ他の選手の面倒を見なければならないんだ』という気持ちもあったでしょうが、これは競輪界の伝統です。競輪選手になり、タイトルも獲り、豪邸も高級車もあります。男としての努力が実ったのに、何が不満なのかと思います。脱会組は、自分たちのことしか考えてなかったのでしょう。彼らが競輪界の行く末を心配してくれたならありがたいですが、不満があるなら、まずは各地の選手会役員に相談するべきでした。しかし、彼らは競輪界全体を考えず、いきなりやってしまった。見合う覚悟があったなら納得もしますが、たかが1カ月で『ごめんなさい』では、競輪界に傷をつけただけ。武士の時代なら脱藩であり、切腹ものです」
ファン不在の今回のクーデター騒動。売り上げ不振に悩む競輪にとってはマイナスのニュースだったに違いないが、これを機に、よりいっそうのファンサービスに徹してもらいたいものだ。