元巨人の江川卓氏は、ドラフト会議で1位指名を3度受けた唯一の人物だが、「空白の1日」とも呼ばれた、3度目の1978年ドラフト会議が騒動に発展。1960年代の子供が好きな「巨人・大鵬・卵焼き」をもじり、嫌いなものとして「江川・ピーマン・北の湖」などと当時はヤユされたものだ。
しかしながら、江川氏のYouTubeチャンネル〈江川卓のたかされ【江川卓 公式チャンネル】〉を観ると、むしろ江川氏は火の粉を被った側とでも言おうか、振り回されたようにも見える半生だったようなのだ。元阪神タイガースの掛布雅之氏が出演した、2月6日付け投稿回でそんなエピソードが掛布氏によって引き出された。
それは、大学4年の時に2度目のドラフト会議で、クラウンライターライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)に1位指名を受けた77年のこと。江川氏の親戚には商売をしている人が多く、商売にも影響することから当時はテレビ中継されていないパ・リーグではなく、首都圏に本拠地のあるセ・リーグ、中でも巨人に入ってほしいという要望を江川氏の父親が親戚中から受けていたという。そこで、江川氏は、プロ入りをいったん断念。翌年のドラフト会議を待つのも兼ねてアメリカに野球留学で旅立つことに…。
そして、翌78年のドラフト会議の間際には、「アメリカの和食屋さんで用意してたわけ。『ここで記者会見開かせてください』ってお願いしてたの。で、待ってたら、電話が鳴って、親父からだった。で、例のやつ(空白の1日)が始まるわけよ。“巨人入れるかもしれない”っていう…」と、語尾を濁しかけた江川氏に、これまで聞き上手に徹していた掛布氏が「大人の世界のいろいろなことやね。大人の事情っていうね…」と、同情まじりに感慨深くうなずく姿も見せたのだった。
トークの中盤には、「お前のイメージ変わるで。いいとこ出してる(いい面を質問で引き出している)よオレが。このYouTube観てからね、お前、オレに感謝すると思うよ」と、スタジオの笑いも誘った掛布氏。江川氏のドラマチックな告白もさることながら、掛布氏のインタビュー技術のうまさにも引き込まれるようなトークだった。
(ユーチューブライター・所ひで)