「空白の1日」とは、江川卓氏が巨人と電撃的に入団契約を結ぶという、1978年のドラフト会議前日に起きた有名な一連の騒動のこと。
そもそも、77年のドラフト会議で、江川氏を1位指名したクラウンライターライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)が、抽選で1番の交渉権を引き当てたものの、在京セ・リーグを切望していた江川氏は、これを拒否。アメリカに野球留学に旅立つと、翌78年ドラフト会議では、阪神タイガースが江川氏の交渉権を獲得。ところが、前年のドラフト会議での西武(77年当時はクラウン)の交渉権が78年ドラフト会議の前日に消滅していることから、そのタイミングで巨人は江川氏獲得に向けて強行に至り、これにより書面上で阪神入りするも、江川氏は巨人に即移籍し、代わって巨人の人気投手だった小林繁氏(故人)が阪神に移籍する大騒動の顛末となったのだった。
その江川卓氏のYouTubeチャンネル〈江川卓のたかされ【江川卓 公式チャンネル】〉の2月6日付け投稿回に、元阪神タイガースの掛布雅之氏が出演。江川氏には高校3年時にもドラフト会議で、阪急ブレーブス(現・オリックス・バファローズ)が独占交渉権を獲得した経緯があったが、六大学野球、ひいては「早慶戦」に執着を見せていた江川氏は拒否の意向を示している。その江川氏は動画でこう語った。
「オレの中では『空白の1日』っていう大騒動は、世の中の2番目だと思ってるわけよ。1番は、もし高校の時に巨人に指名されてたら、もっと大騒動になってるわけじゃん。だってオレ行かないから…」
これにゲストの掛布氏は、「え、巨人に指名されても行かなかったの!?高校からプロは(可能性)ゼロなの?それはボク、初めて聞いた…」
初耳とばかりに驚きの表情を見せた掛布氏。
幾多の名勝負を繰り広げた掛布氏をして、初めて知ったという江川氏が過去の心情を吐露。本当に江川氏が巨人をソデにすれば、「空白の1日」は」生まれなかったに違いない…。
(ユーチューブライター・所ひで)