日本プロ野球において、昨今ではとんと見なくなった乱闘騒ぎ。その原因の大半は、死球が減ったことにあるだろう。
「ケンカ投法」の異名も取った東尾修氏の通算165与死球は日本プロ野球記録ながら、1978年のシーズン最多「16」は、20位以内にも入っていない。
1位は68年に「22」を記録した、森安敏明氏(東映)。2位は「21」で2002年のジェレミー・パウエル氏(近鉄)と続き、意外にも小林繁氏も阪神時代の80年に「20」を記録し3位入りしている。
元巨人・江川卓氏のYouTubeチャンネル「江川卓のたかされ」に、1シーズンに受けた最多死球は76年の「4」と、避ける技術にも卓越していた元阪神、掛布雅之氏が出演。同じ死球でも、怒りが込み上げるものと、そうでないものがあるといった興味深い話を明かしている(2月19日付け投稿回)。
掛布氏は3度の三冠王に輝いた落合博満氏について、危険な球を回避したいことからインコース高めに最初構えた、いわゆる“神主打法”とも呼ばれるオープンスタンスになったのだろうと解説。また自身の死球体験について、「バッターがね、なぜボールを当てられて怒るかというと、ピッチャーの目が“ココ”見てるんだよね。それは“狙ってるな”ってなるわけ」と、右腕をポンポンと叩き、つまりは投手が一瞬見せる視線の先によって、故意に当てようとしているか分かったという。
そんなときは「ふざけんなよ!」と思いながらバッターボックスに立っていたことを掛布氏が明かすと、「ボクは1回も無いから…」と、通算与四球「23」と少ない江川氏がドヤ顔で笑いを誘っていた。
死球も戦術の1つと考えられていた時代もあったかもしれないが、打者としては命がけ。回避できるのも好打者の条件ということだろう。
(ユーチューブライター・所ひで)