テリー 11歳で「国民的美少女コンテスト」のグランプリを獲ったでしょう。「国民的美少女」って大看板じゃない。それは子供ながらにどう思ってたの?
小田 もう正直プレッシャーでしかなかったです。もちろん国民的美少女になりたくて、母と相談して応募したんですけど、当時の本当の自分と、周りがイメージする小田茜との間にはすごくギャップがあったんですね。なので、気持ちがついていかなくて、もう葛藤の日々でした。
テリー そりゃそうだよね。小6とかでしょう。で、それは何年ぐらい続いたの?
小田 20代に入るまで、ずーっとですね。
テリー えっ、10年近くも。
小田 続きました。今思えば、お仕事もたくさんいただいて、一生に一度会えるかどうかっていう方々にお会いできたり、ほんとにありがたい日々だったなぁーって思うんですけど。でも、どうしたって、何もわからない田舎娘だったものですから。
テリー 出身はどこ?
小田 栃木の、ほんとに田んぼとか畑とかしかないようなところです。
テリー そうか。それが急に日本中から注目される女の子になっちゃったわけだ。
小田 そうなんですよ。なので、自分で望んだこととはいえ、「こんなの、私じゃないな」っていう葛藤が10代の時はずっとあって。ようやく20代になって、自分の中で「みんなが思うイメージと本当の自分が、ちょっと近づいてきたかな」と思えるようになり、その辺りから違和感なくお仕事ができるようになったのかな、と思っています。
テリー そういうプレッシャーってさ、例えば今みたいなアイドルグループにいたら、愚痴を言い合うとか励まし合うとかできたかもしれないよね。でも、小田さんは1人じゃない。そういう時って、自分の中でどう解消してたの?
小田 いや、私はかなり出しちゃってたと思います。事務所とか、マネージャーさんとかに対して。
テリー あっ、ワガママ言ってたんだ?
小田 はい(苦笑)。田舎育ちゆえに、元々はほんとに純だったと思うんですけど、母からは「芸能界に入ってから、ガラッと性格が変わったね」って言われたことがありました。
テリー どんな性格になっちゃったの?
小田 じゃじゃ馬です。暴れ馬的な。
テリー アハハハ。それは手がつけられない感じだな。
小田 そうですね。もちろん、気持ちのコントロールとかも今よりは全然ヘタでしたし。ちょっと昔のことなので、断片的にしか覚えてないんですけれども、その辺りは周りの方たちが、たくさんフォローしてくださったのかなって。特に母は大変だったと思いますね。
テリー じゃあ、お母さんは、たぶん「こんなことなら芸能界に入れなきゃよかった」って思ってたかもしれないな。
小田 と思います。実際にそう言われたこともありますし。
テリー あ、そう。その時、小田さんは何て言ったの?
小田 何て言ったんでしょうかね。でも、そうなってしまったものって、もう変えられないじゃないですか。だから、何と言ったかは記憶にないですけど、「しょうがないよね」みたいなことは言ったような気がします。