高校卒業後は公務員試験に合格し、市役所に勤務しながら公式野球部に属し、やがてプロ野球選手になるという異色の経緯をたどった人物をご存知だろうか。現役引退後には、横浜ベイスターズの1軍打撃コーチを務め「つなぐ野球」を提言、1990年代後半「マシンガン打線」と称された打撃陣を生みだした、高木由一氏である。
高木氏は、ドラフト外で大洋ホエールズ(後の横浜ベイスターズ。現在は横浜DeNAベイスターズ)入りしているが、そんな高木氏が、プロ野球のOBが1300人所属している「プロ野球OBクラブ」のYouTubeチャンネル〈プロ野球OBクラブチャンネル〉の、2月27日付け投稿回に出演。入団当時をこう振り返っている。
1971年11月、川崎球場で開催された入団テストを冷やかし半分で受けたと振り返る高木氏だが、偶然に調子が良く、その場で球団からプロ入りの勧めがあったのだそうだ。
しかし、公務員としての4年近くは、いわゆるプロを意識した練習を積んでおらず、プロとして務まるかと葛藤する中、ふだんは無口だという父親からこう言われたというのだ。
「20歳になったら2、3年は軍役に行くんだよ。お前もそのつもりで(プロに)行って来たらどうか?若いうちはいろんな事やってこい!」
戦争を知る重みのある言葉に背中を押され、高木氏はプロ入りを決意。77年と78年には2年連続で3ケタ安打と20本以上の本塁打を放つ好成績から、オールスターゲームにも出場するなど人気選手へと成長を果たしたのだった。
テストの前年には市役所の職員と一緒にプロ野球観戦していたそうで、「その1年後に自分がそこにいるとは思わないよね。人生ってさ、不思議だなって思うよね…」と感慨深げに回顧した高木氏。確かに、「不思議な運命」を感じさせる実に興味深い話であった。
(ユーチューブライター・所ひで)