可愛さ余って憎さ百倍。いやはや、この2人のバトルは本当にすさまじかった。
沢口靖子が主演したNHK連続テレビ小説「澪つくし」や、渡辺謙主演の大河ドラマ「独眼竜正宗」の脚本を手掛け、飛ぶ鳥を落とす勢いだった脚本家のジェームス三木氏。
ところが1992年夏、三木氏と32年間連れ添い、おしどり夫婦と言われてきた山下典子氏とのドロ沼離婚劇が勃発した。
きっかけは、8月に典子氏が出版した「私が夫と別れる理由」とサブタイトルがつけられた著書「仮面夫婦」(祥伝社)。同著で山下氏は、三木氏が自らの女性遍歴を克明に描いたノートの存在を暴露したのだ。
「春の歩み」と名付けられたこのノートには、三木が関係を持った女性たち89人の名前や容姿が記されていたほか、その女性たちA・B・Cでランク付けされ、自身も76番目の女性として登場していた。
そして10年後、再び彼女がノートを開くと、通し番号が173に増えていたことで愕然となり、家を飛び出して別居。暴露本を出版し、世間に衝撃を与えたものである。
8月24日に急遽、事務所で記者会見を開いた三木氏は、
「ギャッと思いました」
と、「春のあゆみ」の存在自体は認めたものの、
「あれは20年以上も前、いつか森鴎外や永井荷風が書いたような赤裸々な私小説を書こうと思って書きためていたもの。なぜ、今ごろ持ち出されるのかわからない。メモとノートは妻には絶対見られてはいけないと思って、隠しておいたんです。でも彼女は掃除好きで、しかも目がいい。我が家にはプライバシーがなかったんです」
憮然とした表情で語る姿が印象的だった。
ところが、この離婚劇が素直に決着をみることはなかった。三木氏は出版差し止めを求める仮処分を申請する一方、出演していたNHK番組の降板を余儀なくされる。1本100万円とも言われた講演が50本キャンセルになったとして、山下氏と版元を名誉棄損で刑事告訴。さらには約1億円の損害賠償を求めて民事訴訟を起こすなど、法的手段に打って出たのである。
結果、スッタモンダは8年間も続き、2人が正式に離婚したのは2000年の2月末。三木氏が元妻に支払う慰謝料は1億円との報道もあった。
そこで2人を直撃するも、「ノーコメント」(三木氏)、「プライバシーに関することはお話しできません」(山下氏)。騒動の最中の、あのヒートアップした掛け合いは、すっかり鳴りを潜めていたのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。