5月に亡くなったダチョウ倶楽部の上島竜兵。ダチョウ倶楽部は元々、電撃ネットワークの南部虎弾が初代リーダーの4人のグループだった。南部は結成2年後に脱退し、電撃ネットワークを結成したが、袂を分かったのはなぜか。
それは南部と2代目リーダーの肥後克広、そして寺門ジモン、上島との不仲…特に南部と上島の不仲が原因ではないかと言われていた。その真相を、ベテラン芸能記者が明かす。
「南部と上島の不仲説は、ビー玉のエピソードが理由のようです。ハチャメチャな南部が夜中に上島に電話をかけて『竜ちゃん、ビー玉を飲めるか』と言ってきた騒動です。上島は速攻で断りました。危険なことをやってもいいけど、やったら笑いが取れるのか。『ビックリ人間じゃないんだから』と、ずっと不満に思っていたと言われています」
上島は当初、俳優志望で、お笑いは素人だった。寺門はコント志望、対して南部はパフォーマンス集団をやりたいとバラバラ。そのうち3人はコントをやってウケた時期があり、南部とはますます距離ができるようになっていった。
先のベテラン芸能記者によれば、
「3人が南部に報告せずに、ライブでコントをやっていることを知った南部が『それなら俺も好きにやらせてもらう』と怒って修復不可能になりました」
ところが、南部のインパクトはグループにとって重要な要素だったことに、3人が気付かされる。ネタが少々できる程度では芸能界を生き抜くことができない、と思い知らされるのだ。
のちに「ウルトラクイズ」の熱湯風呂で共演した際のこと。南部はリアクション無視でずっと熱湯に浸かり、その場を持っていってしまった。
「上島はグループが地味になってしまっていると実感したようです。次第に番組出演も減り、ピンチを経験します。その時に、ちょっと変わったオッサンがいることで、ダチョウ倶楽部が認められていたのだと、改めて思ったそうです」(前出・ベテラン芸能記者)
一方、南部にもそれなりの自覚があった。「脱退したのは自分のわがままが原因だった」と語り、上島や他のメンバーへのわだかまりはないとも言っている。むしろ脱退したことで、パフォーマンスで世間を見返してやろうと奮い立ち、今があると考えているのだ。
要するに、上島も南部もお互いに才能を認め合って距離を置き、個性をぶつけ合い、それが日本のお笑いやバラエティー番組を面白くしたということなのだ。