「天才バカボン」や「おそ松くん」などのヒット作で知られる漫画家の赤塚不二夫が、新宿区内の自宅で記者会見を開き、自らが食道ガンを患っていると告白。1998年3月27日のことである。
前年12月12日、仕事中に自宅で吐血。眞智子夫人の運転する車で緊急入院し、精密検査の結果、食道ガンであることが判明した。医師からは「すぐに手術しないと、2カ月後には何も食べられなくなって、1年以内には死ぬ」と宣告されたというが、本人曰く、
「僕、手術は嫌なんだよ。切って治る人もいるけど、切らないで治る人もいる。手術がうまくいってもその後、病気を併発したら闘病生活を続けなくちゃいけない。お酒も飲めなくなっちゃうもの」
入院から12日後の12月24日、「病院から逃げ出して」(本人談)自宅で闘病生活を続けてきたという。
とはいえ、闘病といっても酒やタバコを控えたわけではなく、片手に焼酎のお湯割りを持って会見に現れると、
「酒もタバコもやめてないよ。やめたら本当に死んじゃうもの。でも、ウイスキーはやめた。強い酒を飲むと食道や胃がチクチクするんだね。だから今は、焼酎のお湯割り専門。しかも30度とか40度の強い焼酎を20度、25度のものに変えたんだよ」
そう言ってのけると、以前吸っていたロングピースから変えたというケントライトを「軽いから余計に本数が増えて困っているんだよ」とスパスパ。私を含め、集まった報道陣は大爆笑したものだ。
しかし、そんな記者会見から4年後の2002年4月1日、脳内出血を起こす。一命はとりとめたものの、入院後もほとんど意識がなく、翌日に様態が急変。妹と長女・りえ子さんに看取られながら旅立った。享年72。眠るような、安らかな最期だったという。
4年前の会見の後、「改めてガン闘病についてお話を伺いたいのですが」という私の依頼に対し「なんだか取材が殺到しちゃってね。うちは今、ちょっとした『ガン景気』なんだよ。ごめんね」といって、笑顔を見せた巨匠。会見場にほんのり漂う「梅シソ」の香りと、あの人懐っこい笑顔が、昨日のことのように思い出される。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。