将棋ブームと言われる昨今だが、90年代にも「将棋界のアイドル」として、ブームに大きく貢献した女流棋士がいた。それが、のちに不貞やヘア写真集、整形、自己破産、余命宣告などなど、世間を騒がせることになった林葉直子である。
11歳で女流アマ名人、14歳で女流王将、女流名人と、天才女流棋士としてその名をほしいままにした林葉。だが、順風満帆な彼女が突然、失踪騒ぎを起こしたのは、94年5月末だった。その原因として駆け巡ったのが、男性関係説や多忙逃避説、父親との確執説、さらには「サイババに会いにインドへ行った」等々、様々な憶測だった。
ところが渦中の彼女が、月刊誌「マルコポーロ」誌上で400字詰め原稿用紙40枚に及ぶ手記を発表。突如、記者会見を行うことになった。7月20日、私はカメラマンを伴って、東京・千駄ヶ谷の日本将棋連盟に急行した。
100人を超える報道陣の前に、憔悴しきった表情で現れた林葉は冒頭、
「まさか、こういう形で騒がれるとは思っていませんでした。私が海外へ行こうと思ったのは4~5年前からで、海外へ行って将棋を教えて、それが注目されればいいなぁと思った」
将棋を国際普及させたいのならば、なぜそう発表せずに「失踪」という形で日本を飛び出したのか。なんとも不可解である。しかも、手記には〈日本を発つ前に、もしかしたらすべてのものを捨てることになってしまうかもしれないこの決断に関し、不安は募るばかりで精神的にもボロボロだった〉というくだりがある。何かに「ボロボロ」にされるほど、追い詰められていたのだ。
報道陣からは、噂される父親(当時、福岡県警勤務)との確執についての質問が飛ぶも、
「父は口うるさいが、それはどこの家にもある、父親の娘に対する期待からくるもので…。ただ、ストレスが溜まって非常に疲れている時、親から何か言われて、つい暴力的になったりしては大変だから…」
いくぶんしどろもどろながら、確執については否定した。
そこで福岡に飛び、林葉の実家を直撃。だが、父親は「答えるつもりはない」と取材拒否。玄関先に出てきた母親も「わざわざ東京からお越しいただき、申し訳ありません。ただ、お話することはございませんので…」と言うと、家の中へ。
結局、「失踪」の原因はわからずじまいだったが、騒動後、林葉は将棋の世界から引退。
そんな彼女が騒動から30年余りを経た昨年8月、テレビのバラエティー番組に出演した。当時を振り返って語ったのは、棋士時代から父親に通帳と印鑑を預け、その父がマンションや高級車、さらには「3000万円の家が欲しい」と、彼女名義で家を購入したこと。しかし、その父親が他界後、購入した家が1億円以上だったことが発覚し、06年、38歳で自己破産したことも告白したのだった。
なるほど、94年の失踪は序章だったわけだが、彼女の人生を大きく揺さぶる記者会見だった。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。