昭和、平成の時代には、記者会見を単なる発表の場としてだけでなく、自らが脚本・演出・主演するエンターテインメントの舞台として利用する名優も少なくなかった。その代表といえるのが、97年6月21日に65歳の若さで亡くなった、勝新太郎だったのではないだろうか。
勝がノドの痛みを訴え、千葉県柏市の国立がんセンターに入院したのは、96年8月だった。検査の結果、下咽頭ガンと診断され、抗ガン剤投与と放射線治療を受けたのち、「最後の舞台」となる記者会見を開いたのが、同年11月22日だ。
黒いスーツとワイシャツに赤いネクタイ姿。治療で体重が8キロ減り、ずいぶんスリムになった姿で会見場に現れた勝は言った。
「ガンと告知された時も、俺はびくともしなかった。座頭市の時も(薬物所持で逮捕された)ハワイの時もそうだけど、俺は絶壁にいるのが好きなんだ」
のっけから勝新節が炸裂である。とはいえ、抗ガン剤伴用の放射線治療が継続していることから、ノドの痛みや渇き、味覚障害があり、
「飯を食べても、泥水か砂利みたい。すき焼きでも、かつ丼でも、ちょこっとしか食べられないから、栄養は点滴で保っている」
と顔をしかめるのだ。だが、そこは天下の名優、勝新太郎。検査のため、全身にガス麻酔をかけられた際のことを振り返ると、自虐ネタを披露して笑いを誘う。
「ガス麻酔は法律違反の薬物以上。モルヒネもあるっていうから(医者に)打ってくれ、って。これはやったことがないからな」
そしてこともあろうに、会見の途中で「酒もタバコもやる気がしないからやめた」と言いながら、タバコに火をつけ、ひと口吸って「タバコはうまいねぇ~」と、お得意のパフォーマンスだ。結局、15分の予定だった会見は、延びに延びて50分に。
ただ、のちに取材した関係者の証言によれば、この時点で勝の体調は限界に近く、とても記者会見など開けるような状態ではなかったという。
「だからこそ、スタッフが相談して15分で区切るよう、オヤジに伝え、本人も了解したんですが、会見が始まると、結局『そんなこと、誰が決めたんだ!』と(笑)。病状はすでに、たばこをひと口吸うだけでも息ができないくらいまで進んでいたし、実際に自宅からは全ての灰皿が撤去されていた。もちろん、酒なんか一滴も飲める状態じゃなかったですよ」
しかし、彼は最期まで「勝新太郎」という豪快な「役者」を演じ切った。
築地本願寺での葬儀後、ビートたけしが語った、こんなコメントを憶えている。
「あの野郎、本当にタダじゃおかねぇ!っていう人、出るはずなんだけどさ。勝さんの悪口を言う人はいないんだよ。面白いよね、勝さん」
稀代の豪快男は、断崖絶壁から天国へと旅立ったのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。