多くの芸人を押しのけ、本誌アンケートで堂々の3位に輝いたのが「シェー」である。言わずと知れたマンガ「おそ松くん」に登場するイヤミが発するギャグだ。文字にすれば、たった3文字のフレーズが、これほど長く人々の記憶に残っている背景には、原作者の赤塚不二夫氏の“こだわり”が隠されていたのだ。
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「1960年代当時、子供だった人なら、自分のアルバムに1枚ぐらいは『シェー』をしている写真があるんじゃないでしょうか」
こう話すのは、赤塚りえ子氏(48)。08年8月に他界した赤塚不二夫氏の一人娘である。現代美術家として活躍する一方、不二夫氏が興した「フジオプロ」の社長も務めている。
60年代は「シェー」旋風が吹き荒れた。どれほどかと言えば、ビートルズにゴジラ、あの王貞治までもが「シェー」のポーズを公の場で披露。なんと現在の皇太子殿下も「シェー」をしたというのだから、まさに国民的ギャグなのだ。
マンガ「おそ松くん」は62年から「週刊少年サンデー」で連載が始まった。実は、イヤミは名前すらない医者として初登場。4週後に主人公の6つ子の父親の知人である「井矢見」として再登場する。そして、連載開始から1年を過ぎた頃、イヤミのキャラも定着した。
「ある時、イヤミが驚くシーンを描くことになり、当時のスタッフと一緒に、どういうポーズがいちばんおもしろいか、いくつも試したそうです」
いろいろなポーズが出るが、おもしろいものが出ない。疲労の色が見え始めた時、ハプニングが起きた。
「その時、ボロボロの靴下を履いていたらしいんです。それで勢いよくポーズしたら、靴下が脱げかかってビローンとなった。それを見て、その場は大爆笑。それで『このポーズでいこう!』となったそうです」
確かに、「シェー」をするイヤミの上げたほうの足の靴下は情けなく伸びている。
だが、不二夫氏は万全を期すように、そのポーズが本当にウケるのかを試した。
「内輪だけでウケていてもダメ。マンガを読んでくれる一般の人々に笑ってもらえなければ意味がないと、スタッフたちは新宿御苑へ出かけたのです。苑内を訪れていた一般人の前で、いきなり『シェー』を見せて、その反応を確かめたんです」
結果は上々であった。ポーズを見た誰しもが大笑いしたのだ。そして、「シェー」は日の目を見ることになったのである。
とことんアイデアを出し合い、納得するまで吟味し、さらにリサーチしたうえでリリースするのだから、大ヒットするのもうなずける。
「父の観察眼や洞察力は私から見ても本当にスゴかった。人を楽しませようというサービス精神も人の何倍も強かったですね。ヘンテコなコスプレでも誰かを笑わせたいという情熱にあふれ、そのためには一生懸命に努力することを惜しまない人でした」
不二夫氏が亡くなってから、まもなく5年が経過する。再来年の15年には、生誕80年のメモリアルイヤーを迎える。そんな不二夫氏の漫画家人生において、「おそ松くん」はギャグ漫画家としてのキャリアの一歩目とされる作品。とりわけ思い入れが強く、「シェー」もお気に入りギャグの一つであった。
「『シェー』は驚いた時のポーズなので緊張感が大切なんです。だから、父の『シェー』はいつもピシッとしていました」
取材時に見せてもらった写真に残る最晩年の不二夫氏の「シェー」は若き日とほとんど変わらない、みごとな姿勢であった。
最後に、断られるのを承知でりえ子氏に「シェー」をお願いすると、「本家に申し訳ない」と言いながらも、父親譲りのサービス精神を発揮して、美しい「シェー」を披露してくれた。「『シェー』をやると、全てが吹っ切れて自然と笑顔になるんですよ」
そこには不二夫氏の面影を漂わせる、はにかんだ笑顔があった。