1975年に主演した「五月みどりのかまきり夫人の告白」(東映)以降、東映と日活で4本の作品に主演。若々しい肉体と大胆な演技で、五月みどりは世の男性を楽しませた。
83年には中森明菜の「少女A」にインスパイアされたという「熟女B」を発売。熟ブームを巻き起こしたのは、彼女が43歳の時だった。
2年後の85年、そんな五月は20歳年下の歌手・立花淳一と3回目の結婚を発表。11月14日、東京・永田町のキャピトル東急ホテルで婚約発表記者会見を開いた。
2人の出会いは、前年のディナーショー。立花が前座を務めたことがきっかけだったが、
「そのあと、彼から『結婚』という言葉がポンポン出るようになって。私は2度失敗しているから臆病になっていたので『結婚って、すごく大変なのよ』と言い続けていたんです。それに、彼が結婚してダメになった、なんて言われたら嫌だし。でも『もしダメになったら、それは100%僕が悪いんです』と。それを聞いて、なんだか情にほだされちゃって」
とはいえ、この時、五月は46歳。一方の立花は26歳とあって、
「(不貞については)彼には『してもいいわよ』と言ってあるんです。もっとも、その代わり彼が不貞したら『私はその3倍しちゃうから』と言っています」
さらに、報道陣からの「体力的な問題は?」という質問に対し、
「毎晩、ベッドでは彼に体力負けしていますけど、今のところ、まだお断りするほどでは…なんて、アッハッハッハ。そのうち、体力的にはやっぱり限界を感じるようになるかも」
そう言って頬を赤らめる五月の隣で、ガチガチに緊張した立花は、
「でも、そうなったら僕がリードします」
と「体力」の意味を勘違いし、会場が笑いに包まれる場面も。幸せあふれる会見は、報道陣からの「お幸せに!」という拍手で終了したのだった。
だが、そううまくはいかないのが世の常だ。
結婚会見時に「今度こそは添い遂げます」と宣言した五月は、2年後の1987年に離婚。「してもいいわよ」と許していた立花の不貞が原因だった。
またしても緊急記者会見を開いた彼女は、大号泣。
「本当は結婚して2週間後に(立花に)女がいるってわかったんですけど、今度は3度目だし、私もあとがないと思って、なんとか我慢しようと…」
しかしこの離婚劇、これでは終わらず、離婚直後に立花が五月宅からの引越し作業中、転倒して複雑骨折。結局、その後もしばらく五月が立花の面倒を見る、というオチまでついた。まさに、2度あることは3度ある、が現実となった離婚劇だった。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。