生真面目というのか、ただ人がいいというのか──。野口五郎にはそんな印象がある。
野口がタレントの三井ゆりと結婚したのは、2001年2月。当初、2人の結婚式はマリアナ諸島のロタ島で2月12日に行われる予定だったが、振替休日でサイパンからロタ行きの飛行機が飛ばず、3日遅れの15日に変更。
そんなことから、2人は12日、世田谷区役所に婚姻届けを提出し、報告記者会見を開いた。そしてロタで挙式を終えて19日に帰国し、またも記者会見。さらに26日にも、六本木のライブハウスでの結婚披露パーティー終了後に記者会見を行うなど、いくらマスコミからの要請があったとしても、ここまで頻繁に会見を快諾するタレントはそういない。そんな野口の生真面目さに、驚かされたものである。
以前、ものまねタレントのコロッケをインタビューした時のこと。コロッケはデビュー当時、ちあきなおみや岩崎宏美などのものまねで大ブレイク。レパートリーのひとつが「野口ネタ」だった。
だが、その頃はまだ野口と面識がなく、「テレビ局の楽屋に野口さんの名前があると、遠回りして通り過ぎちゃった(笑)」のだという。ところが、そんな2人がある時、新幹線のグリーン車で偶然、隣り合わせになったのだ。
「はじめまして、ものまねをやらせていただいています、コロッケです」
「ああ、野口です、どうも…」
最初のうちは、ぎこちないながらも世間話が続いたが、お互いに缶ビールが進むと、やがて話題はネタ話に。
「あのさぁ、『私鉄沿線』歌ってる時、あれ、何やってるの?」
「いや、あの…(小声で)鼻クソを…」
「そうなんだ~。あの歌は僕にとって、ものすごく大切な歌なんだよね」
「はぁ…あの…すみません」
2人の間に流れる気まずい空気は、目的地に着くまで続いたのだという。ま、そこはサービス精神旺盛なコロッケのこと。取材を盛り上げるネタだったのかもしれないが、彼の臨場感たっぷりの話芸に、大爆笑したことを覚えている。
野口が「ものすごく大切な歌」と語った「私鉄沿線」は、作曲を野口の7歳上の実兄である佐藤寛が担当。1975年2月に発売され、45万枚を超すヒットとなった。
だが、オリコン1位を獲得した日、兄がストレスと過労による十二指腸潰瘍で入院。野口も浜松でのステージ中、急性嵌頓ヘルニアで倒れ、休養を余儀なくされる。つまり、ヒットまでに野口兄弟はそろって「痛み」の代償を払っていたのだ。「大切な歌」というのも頷ける話である。
生真面目な野口は、それを面白おかしく歌うコロッケを当初、快く思っていなかったのか。ただ、その後バラエティー番組などで共演する2人を見れば、むろん当時のわだかまりなどないことは一目瞭然。まさに「雨降って地固まる」だったのだ。
山川敦司(やまかわ・あつし):1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。