90年に発売されたニッカウヰスキーの「オールモルト」。そのCMの「女房酔わせてどうするつもり?」というドキッとさせるセリフで、同商品を異例の大ヒットに導いたのが、女優・中野良子だった。
70年代には映画「八つ墓村」(松竹)や「野生の証明」(角川映画)などの話題作に出演。その後は中国との友好交流で活躍した。近年はメディアに出る機会が減ったものの、現在も女優業のかたわら、日本各地での講演やトークショーなど、精力的な活動を行っている。
そんな中野が結婚したのは87年4月。相手は同志社大学卒で富士銀行(現・みずほ銀行)の外国為替課長というエリート銀行マンだったが、この時、中野は36歳。人気女優のまさかの「お見合い結婚」に、世間はアッと驚いたものだ。
4月10日、都内のホテルで、あでやかな着物姿で記者会見に臨んだ中野は、
「いつも結婚を考えていました。やはり女性ですもの。(彼は)温かくて穏やかで、深い信頼感のある方。この方となら長い人生を一緒に築いていけるという、直感のようなものを受けました」
そう語ると、満面の笑みを浮かべたのだった。
会見には、日本の芸能マスコミに交じり、「光明日報」や「北京日報」「青年報」など、中国メディアも取材に訪れていたのだが、不思議に思い「北京日報」の記者に話を聞くと、
「彼女は文化革命後に初めて上映された外国映画『君よ憤怒の河を渉れ』で主役の真弓を演じ、中国では知らない者がいないくらいの人気者なんです。そんな彼女の結婚ですから、ニュースバリューは高いんですよ」
彼女には申し訳ないが、私が中野良子の名前を聞いて真っ先に思い出すのが、85年に起きた、テレビ生放送中の「名指し批判」騒動だ。といっても、これは中野が発言したのではなく、中野との熱愛記事を書かれた森進一によるものなのだが…。
舞台となったのは、2月13日夜に放送された「歌のワイド90分!」(日本テレビ系)。「北の蛍」を歌う前、司会の徳光和夫アナから「週刊誌に中野さんとのことが書かれていますが」と振られた森が顔を強張らせ、
「全く根も葉もないこと。だから三流週刊誌は困るんです。書いた人は『週刊女性』のT(実名)という記者だということはわかっているんです」
と、怒りをあらわにしたのである。
とはいえ、当然、この発言は物議を醸した。「デタラメを書く週刊誌が悪い」という声はあったものの、「仮に書かれた内容が事実ではなかったとしても、公共の電波を使い、特定の週刊誌や記者名をあげるのはルール違反」との声が大半で、結果、タレントと芸能マスコミとの間に、後味の悪さだけを残す騒動となったのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。