翌2020年も故障との縁は切れなかった。コロナの影響で開幕が大幅に遅れたこの年、大谷は8月に2度目の先発登板の機会を得る。しかし、結果は2回途中降板。試合後にMRI検査を受け、肘の腱と筋肉回りに張りがあることが判明し、これで、このシーズンの投手としての活動は終わってしまった。
自ら「情けない」と総括したこの年のオフ、転機がようやく訪れた。
一つは体調。何ら健康面の心配もなくオフシーズンを迎えた大谷だが、これは渡米後初の経験だった。8月に判明した肘と筋肉回りの張りはすでに回復していたが、それ以上に大きかったのは、膝の不安から解放されたことだった。
「野手、投手にかかわらず、野球選手にとって脚は最重要。もともと高強度の重いウエイトを使って下半身を鍛えていた大谷ですが、膝の手術の影響で、前年オフには満足のいくトレーニングができなかった。それが、手術から1年が過ぎ、再び脚に重い負荷をかけてトレーニングができる状態に戻りました」(関係者)
2つ目の「事件」は、ワシントン州シアトル郊外にあるトレーニング施設「ドライブラインベースボール」との出合いだった。最新のトレーニングができることで知られるこの施設は、科学的練習メニューと動作解析に定評がある。猪瀬氏が解説する。
「ドライブラインの存在は、2015年から5シーズン連続で2桁勝利を挙げたトレバー・バウアー(現ドジャース)が利用していたことで一躍知られるようになりました。大谷が、100グラム~2キロまで、重さの異なる種類のボールを壁に投げつけているシーンを見たことがあると思いますが、これはドライブラインの代表的なメニュー。負荷の大きいボールを扱うと、肩や肘に負担のない軌道が自然と身につく。さらに、体得した腕の振りを続けながら重量を軽くしていくことで、腕を速く振り抜く感覚も覚えられるそうです」
フィジカル面ですでに完成されていた大谷にとって、肉体改造自体はそれほど重要ではなかった。必要としていたのは“情報”だった。ドライブラインから提供されたデータにより、大谷は自身の疲労レベルを正確に把握し、冬のトレーニングに役立てたのみならず、シーズン中にどれくらい休養をとる必要があるのかも理解した。このことは、二刀流選手として常に体力温存という課題と直面してきた大谷にとって意義深いものだった。
3つ目の「事件」は、新GMにペリー・ミナシアンが就任したことだ。2020年8月に肘の腱と筋肉回りに張りが出たことはすでに述べたが、この頃から球団関係者の一部から、二刀流を断念すべきだという声が出始めていた。それでも、当時のGMで、大谷をエンゼルスに呼び寄せたビリー・エップラーは、二刀流断念の決断を下すことはなかった。だが、そのエップラーが5年連続負け越しの責任を問われ解任された。これで大谷が望む二刀流での出場が叶わなくなるのではとの見方もあったが、それは杞憂に終わった。
ミナシアンはGMに就任後、ジョー・マドン監督に対して、大谷の起用制限を緩めてみてはどうかと提言。MLB数球団のクラブハウス職員として働いていた父親の下で、幼少の頃からその仕事を手伝ってきたミナシアンは、MLBまでたどり着くことがどれほどの偉業かを熟知していた。同時に、そんな偉業を成し遂げた選手に対し、安易に制限をかけるべきではないという思考も持ち合わせていた。大谷にとって、彼との出会いもまた大きな幸運だった。
こうして迎えた昨年、2021シーズンの大ブレイクについては、もはや紹介するまでもないだろう。大谷はいくつかの転機を経て「MLB120年の歴史を変えた」のである。