「(離婚を決意した原因は)価値観の違いです。彼が私にさせたい仕事と、私がやりたいものが違って、そんな会話が家庭にも入り込んできていて…。(夫は)興奮するタイプですからね。私、大声で怒鳴られるの、嫌いなんです。だから、私の心に離婚という気持ちが芽生えたのは、何年も前からでした」
97年6月17日、当時、メディアでも引っ張りだこだった木村晋介弁護士を伴い、夫で所属プロダクション副社長(当時)である阿知波信介氏との離婚会見に臨んだ多岐川裕美は、サバサバした表情でそう語った。
多岐川は、この日から遡ること13年の84年、妻子ある阿知波氏との「禁断愛」の末、両親の猛反対を押し切って結婚。だが、仕事人間で家庭を顧みない夫との間で、これまで幾度となく危機説が流れていた。
そのたびに阿知波氏はマスコミの前で「別居」「離婚」疑惑を否定。とはいえ、今回ばかりは「修復不可能」とハラを決めた多岐川が、娘を連れて自宅を飛び出した。双方が代理人弁護士を立て、この日の会見が行われたとされる。
娘の親権について聞かれた多岐川は、語気を強めてキッパリ。
「本当に大変な時や、どうして夜泣きしているのかわからなくて不安だった時も、(夫は)父親として子供に接してくれませんでしたから。はっきり言って、子供は私ひとりで育てたと思っています」
多岐川の両親が2人の結婚に猛反対だったこともあり、
「結婚後は一度も実家の敷居をまたがなかった」
という彼女。それでも実家に戻った母娘を温かく迎えてくれた両親に対し、
「自分のわがままで両親に不義理をしてきたことを、今までずっと悔やんできました」
そう語ると、大粒の涙が頬を伝った。
その後、阿知波氏は3度目の結婚。多岐川は独身を通した。
そんな離婚劇からちょうど10年の月日が流れようとしていた07年5月4日、私が再び阿知波氏の名前を耳にしたのは、同氏が鹿児島県霧島市の観光名所「犬飼の滝」で自死を遂げたことを伝える報道だった。
阿知波氏は前夜に、ひとりで鹿児島入り。翌日、「現場」まで案内したタクシー運転手は私の電話取材に対し、
「パンフレットを見て、あの滝に行ってみたいということになったんですが、到着すると『じゃあ、見に行ってきます』と言ったきり、帰ってこなくて…。思い詰めている様子もなかったので、まさか、でしたね」
と答えた。所属事務所によれば、阿知波氏は3年ほど前に脳梗塞で入院。以来、体力や気力の低下を気にしていたというが、芸能界に大きな衝撃を与えることとなったのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。