2013年に57歳で亡くなった坂口良子の長女で元タレントの坂口杏里さんが6月8日、インスタグラムで結婚を発表。杏里さんは2017年12月に自身のインスタでタレント引退を表明しているが、その後のお騒がせぶりは説明するまでもないだろう。
坂口が杏里さんを出産し、マスコミ各社に喜びのメッセージFAXを送ったのは、1991年の3月3日。メッセージには、弾んだ文字でこう記されていた。
〈平成3年3月3日のひな祭りの日。しかも女の子で、ラッキーな子です。体重も3556グラムと大きな子。出産予定日は3月中旬だったのですが、10日ほど早く生まれました。丈夫にさえ育ってくれれば満足です〉
坂口は1986年に19歳年上の不動産会社社長の男性と結婚。そして、89年には長男を出産していた。
世はまさにバブルの時代。当時、不動産業界では何十億、何百億という金が瞬時のうちに右から左に動き、そんな業界の社長を伴侶に持った坂口には羨望の視線が注がれていた。
しかし世の中というのは、なかなかうまくいかないものだ。1994年4月28日、坂口は離婚会見を開いた。
離婚の原因について、バブル崩壊に伴う借金苦に端を発した、と説明。夫が関係する建設会社が多額の負債を抱え、それを肩代わりしたため、負債が10億円にも。結果、夫の会社や自宅は金融機関や債権者から差し押さえられ、競売にかけられる予定である、と語った。
「お金のことは直接結び付かないと自分自身に言い聞かせていますが、主人に対する信頼感がなくなってしまったことは確かです」
そして、慰謝料と養育費について聞かれると、
「慰謝料は請求しようとは思いません。子供(1男1女)の養育費はこれから話し合うつもりですが…」
と言って大粒の涙を流した。
だが、女は弱し、されど母は強し、というたとえがあるように、坂口も強かった。
懸命に働き、毎月一定の金額をコツコツと返済。10年で総額40億円を完済したというから、驚くばかりだ。
そんな彼女に、再び「春」が訪れたのは、98年頃だった。プロゴルファーとして活躍していたジェットこと尾崎健夫と出会い、意気投合。ほどなくして交際に発展した。
だが「母親を取られる」と感じた杏里さんからの「拒否」もあり、しばらくは入籍できず。2人は彼女が成人するのを待って入籍したという。
さて、今回の娘の結婚報告。天国にいる坂口はどんな思いで聞いたのだろうか。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。