瓢箪から駒、というたとえがあるが、名が売れている芸能人の場合、記者会見を開いたことで隠し事がバレてしまう、というケースは少なくない。そのひとつが85年4月23日、女優・早乙女愛と青年実業家A氏が開いた「婚約発表」記者会見だろう。
早乙女は74年に映画「愛と誠」で4万人の中からヒロインに抜擢され、芸能界デビュー。役名がそのまま芸名となったが、その美貌から「恋多き女」と呼ばれ、恋愛問題がたびたびクローズアップされた。
そんな2人の熱愛をスポーツ紙がスクープしたのは、会見の前日。というわけで、夕方の緊急記者会見となったわけだが、早乙女曰く、プロポーズの言葉は「明日、早起きして区役所に婚姻届を出しに行こう」で、「早ければ夏にでも結婚式を挙げたい」と満面の笑みを浮かべていたものだ。
ところが、この会見がワイドショーで放送されたことで驚愕したのが、A氏の元妻B子さんだった。なんと、A氏とB子さんはこの会見の26日前まで婚姻関係にあり、「彼が仕事に生きるというから別れてあげたのに。裏切られた!」と、B子さんが「週刊平凡」誌上で怒りをブチまけたのである。
後日、報道陣の囲み取材に答えたB子さんは、悔しさをにじませた。
「今年の正月に一方的に『別れてくれ』と言われて…。春休みにあの人が東京へ子供たちを連れて行き、帰ってきた子供たちが『愛ちゃんに会った』とか『愛ちゃんに買ってもらった』と言うので、てっきり『愛ちゃん』は主人の会社のスタッフかと。あの人が早乙女さんと付き合っていることは、全く知りませんでした」
元妻の登場で騒動が激化する中、さらなるトラブルを避けるべく、早乙女とA氏はロサンゼルスへと旅立ち、マスコミの前から姿を消すことに。
結局、2人が無事に結婚式を挙げたのは、騒動から半年後の11月22日。披露宴を終え、記者会見に臨んだ早乙女の左手薬指には、3.3カラットのダイヤの指輪が輝いていた。
「今までにない、身の引き締まる思いがしました。これからは家庭中心になると思うので、仕事の方はマイペース、というよりペースダウンしながらやっていくつもりです。子供はできれば早い方がいいんですが…」
97年に長男を出産した彼女は、00年に引退。02年にはA氏とともに渡米したが、08年に離婚。2年後の10年7月、体調不良を訴え、ワシントン大学病院に入院した。
しかし突然、様態が悪化し、7月20日、13歳になる最愛の息子に看取られながら息を引き取ったという。まさに駆け抜けるような、51年の生涯だった。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。